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市立函館博物館の大矢です。 今回のアドベントカレンダーは、元来千島列島北部に居住していたアイヌの一分派である「クリルアイヌ」が、1886(明治19)年にはるばる函館を訪れたときのお話です。 千島樺太交換条約とクリルアイヌ 北海道を開拓使が統治していた1875(明治7)年、日露間で千島樺太交換条約が締結され、全樺太をロシアが領有する代わりに全千島列島が日本領となります。 条約締結当時のクリルアイヌは、ロシア人の長きにわたる千島経営の影響を受け、生活用具や風習、言語や信仰にいたるまでロシア化されてしまっていました。 1878(明治11)年に千島列島北部シュムシュ島で撮影されたクリルアイヌ(市立函館博物館所蔵) クリルアイヌの強制移住 当初はクリルアイヌの居住する千島列島北部まで援助物資を運んでいた政府ですが、遙か遠方の北部千島まで物資を運ぶのに経費がかさむことや、もっと南方の島々の方がクリルアイヌの居住に適しているであろうという思い込みなどを理由にして、1884(明治17)年に97名のクリルアイヌを1,000㎞以上も離れたシコタン島へ強制的に移住させたのです。 シコタン島に移住させられたクリルアイヌは、従来得意としていた銃による海獣猟などが禁止され、農耕や牧畜などの「殖産」や、創氏改名や日本語教育などの同化政策が施されるようになります。 1885(明治18)年2月16日には、根室県令湯地定基から農商務卿西郷従道に「色丹郡旧土人へ綿羊貸与ノ儀伺」が提出され、七重勧業試験場のサウスダウン種とスパニシュメリー種がクリルアイヌのもとに届けられました。 北海道物産共進会の開催 そのような中、1886(明治19)年10月15日から26日まで函館区海岸町で北海道物産共進会が開催されました。当時函館の人口が45,000人ほどであったのに対し、期間中10,000人以上の来場者があったといいますから、相当な盛会であったことが想像できます。 クリルアイヌも良作の馬鈴薯や木工芸品などを出品することになり、クリルアイヌのリーダーであったヤコフとケプリアンの二人は自ら出品物を携え、汽船で函館までやってきました。 この時にクリルアイヌの出品物が賞をもらったかどうかは定かではありませんが、褒賞授与式があった日には田本写真館で記念撮影を行っています。 函館区海岸町の共進会会場(函館市中央図書館所蔵『函館市街全図』(1887年刊)より) 1886(明治19)年10月24日撮影写真(市立函館博物館所蔵) ヤコフとケプリアンは函館で10日間を過ごしますが、その間、博物場や町会所などの建物を訪れたほか、七重勧業試験場や大野の水田も見学しています。 おそらくは北海道の産業先進地である道南の農耕・牧畜を、自らの生業に活かすためであったしょう。 様々な知見を得た二人は、10月31日にシコタン島へと帰っていきました。 開場間もない頃の函館博物場1号館・2号館(函館市中央図書館所蔵『田本アルバム』より) 七重勧業試験場桔梗牧羊場のサウスダウン綿羊(函館市中央図書館所蔵『元開拓使七重勧業試験場写真』より) クリルアイヌのその後 その後、シコタン島へ戻ったケプリアンはわずか2年後の1888(明治12)年12月16日に52才でこの世を去り、ヤコフも1903(明治36)年7月28日に66才で死去します。 クリルアイヌに施された殖産事業も1894(明治27)年の洪水で大打撃を受け、結局その後は沿岸地域での細々としたフノリ採集が中心的になっていかざるをえませんでした。 急激な生活環境の変化や慣れない生業への転換、和人との混血が進んでいく中でクリルアイヌ固有の文化は次第に姿を消してゆき、現在では彼等の文化を継承している方が確認できないような状況となってしまいました。 しかし、現在でも市立函館博物館には、強制移住の際に収集されたクリルアイヌの民具や、北海道物産共進会に出品されたクリルアイヌの木工芸品が残されています。
by dounan-museum
| 2013-10-10 05:04
| テーマ「道南の農業開発の歴史」
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