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八雲町郷土資料館の大谷です。 コラムリレー第5回は、現在企画展として展示している「ヲコツナイに入植した斗南藩士」についてお話しします。 先日終了しました大河ドラマの八重の桜。作中にも戊辰戦争に負けた会津藩が転封されて斗南藩となった、という描写が出てきます。 実は、八雲町にはその斗南藩の藩士たちが、分領支配のために移住してきて、廃藩置県で斗南藩がなくなった後もそのまま着農人として生活していました。 その場所こそがタイトルの「ヲコツナイ」。現在の八雲町浜松にあたります。大雑把に、国道5号の奥津内川に架かる浜松橋あたりになります。 1870(明治3)年1月に、斗南藩主松平慶三郎(容大)は、北海道の瀬棚・太櫓・歌棄・山越の四郡を分領支配するよう命ぜられます。 しかし斗南(青森県むつ市)への移住・開拓も行っており、すぐに藩士を移住させることができません。 ようやく移住の目途がついたのが同年8月、実際に函館港に藩士と家族が着いたのが翌年の1871(明治4)年2月でした。 ちなみに、戊辰戦争後の北海道開拓は旧会津藩士による余市町の開拓が有名ですが、こちらは小樽港から上陸しています。 山越郡は山越内と長万部に分かれており(八雲町が旧熊石町と合併する前は山越郡八雲町でした)、山越内に7戸18人が、長万部には4戸11人が入植しています。 郡総括兼山越内担当として三井勝用が、長万部担当としては黒河内為鎮が、医師として相沢玄理がその任を受けていました。 さて、ヲコツナイに入植した三井勝用ら斗南藩士ですが、いきなり問題が発生します。 仕事の一つに継立(宿駅ごとに貨客を継送すること)があるのですが、移住以前に管理をしていた兵部省の管理が悪かったためか、引き継いだ時には既に馬のエサとなる馬草が底をついており、近くの集落に買い求めても手に入らず、小屋などを取り壊して屋根の藁を食べさせてしのぐ羽目に陥ります。 こんな状態では馬を使った継立業務は不可能なため、伊達方面へ行く際には砂原から船で渡ってほしい、日本海側へはなんとか人が継立を担うと、着任してすぐに開拓使に申し出ています。 そんな状態からスタートしますが、着任してから半年もたたない7月に廃藩置県が布告され、8月には分領支配をやめて開拓使による北海道全体の管轄を布告されます。そして翌年の1872(明治5)年1月末をもって斗南藩領四郡が開拓使へと引き継がれ、分領支配が終了します。着任してから1年とたっていません。 それにともない、斗南県に戻ることも可能でしたが、彼らは引き続き着農人としてとどまることを選択します。 当初は三井勝用が着農人取締に任ぜられ旧藩士を統率し、一般の村民とは画されていましたが、1873(明治6)年3月からは戸長指揮下の一般村民となり、すべての肩書もなくなり、士族から平民となります。 同年11月からは、山越内の旧会所を改造して山越内教育所とし、三井勝用の弟、三井計次郎が教師として雇われます。 これが現在の山越小学校にあたり、八雲地域で一番古い学校になります。 しかし、設立したものの設備などは十分ではなく、教科書も不足しており、計次郎は自費で函館支庁に出向いて教科書類を借り受け、教育所で使用していました。 この三井計次郎ですが、教員のあと、山越内村の戸長、落部村の戸長、亀田郡大野外五ヶ村戸長など各地の戸長を歴任したのち、1902(明治35)年に八雲村の初代村長を務めます。 計次郎の兄、三井勝用は、着農人取締のあと、山越郡の副戸長、戸長、書記長を拝命し、茅部郡森ほか五ヶ村戸長兼北海道庁警部を拝命したのち、宿野辺郵便局長を務めます。森ほか五ヶ村戸長を退任する際には、戸長留任嘆願書が村民たちから出されるほど慕われていました。 ちなみに、函館市高龍寺に「傷心惨目」の碑を建立したときには、勝用が旧会津藩士を代表して追悼文を捧げました。 この三井家の墓所は、内浦にある八雲墓地に現在も存在しています。 また、現在も町内に残る斗南藩の痕跡としては、黒岩の善通寺に「旧斗南藩士」と刻まれた水野三郎建立の墓碑があります。 水野は、斗南藩士として移住してきて、黒岩にて旅館業を経営していたそうです。 八雲といえば旧尾張藩士らによる開拓が注目されますが、実はその前に斗南藩士らが開拓に入っていました。そして彼らは協力し合って八雲を発展させてきました。 今回の展示は、町内の地方史研究家で、資料館の古文書講座の講師を毎年お願いしている幸村恒夫氏の研究成果を活用させていただいて開催しております。 北海道立文書館所蔵の文書類は写真での展示となっていますが、三井勝用が書いた短歌や、三井計次郎の出勤簿などは実物を展示しております。 展示は平成26年1月26日(日)までです。これから企画展終了までの休館日は、12月29日~1月6日、13日、20日となっています。 みなさまのご来館をお待ちしています。
by dounan-museum
| 2013-12-26 17:51
| コラムリレー
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