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森町教育委員会の高橋です。 森町には天然記念物が2件あります。1件は北海道指定の「茅部の栗林」、もう1件は森町指定の「行幸柳」です。栗林は100本以上のクリが青葉ヶ丘公園内に群生し、なかには幹周が4m近いものがあり推定でも樹齢100年を超えるとみられます。一説では200年を超えるという話もあります。ヤナギは明治14年(1881年)の明治天皇巡幸の際に植樹されたということから樹齢135年と考えられます。こうした天然記念物のようによく知られているわけではありませんが、今回は少し変わった場所に生えている大木を紹介します。 それは史跡東蝦夷地南部藩陣屋跡砂原陣屋跡内にあるケヤキの木です。陣屋跡内には、日清・日露戦争での戦没者の忠魂碑が建立されています。その忠魂碑の真後ろに、近くのマツと比べひときわ幹が太いケヤキが立っています。 ケヤキの葉の縁は先端が尖る鋸歯(ギザギザ)を形成し、鋸歯の先端は葉先に向かっています。樹皮はどちらかと言えば平滑で、何とも言えない不思議な模様になっています。かなりの老木のようで樹皮は所々薄く剥がれています。 このケヤキ、果たしていつ誰がどのような理由で植えたのでしょうか。渡り鳥が種子を運ぶというような類の話であれば、この検討は無意味になってしまいますが・・・。 それはともかく、まず木の大きさに注目してみます。ケヤキの胸高の幹周は約3.1mあります。例えば周辺に生えているマツは幹周が1mほどで、年輪からすると樹齢70年前後と見られます。 マツの幹周よりもケヤキの方が明らかに大きいので、樹齢は少なく見て70年以上と言えるでしょう。(樹齢と幹周の関係は樹種や生育環境によって異なるようなので一概には言えず、あくまで参考として。)次に砂原町史に掲載された大正2年(1913年)忠魂碑建立時の写真ですが、この時にケヤキは見られません。まだ樹高が低く忠魂碑に隠れて見えないだけだとしても、大正2年を大きくさかのぼるものではないでしょう。このことからケヤキの樹齢はおよそ70~100年と推測されます。 ケヤキは本州以南では街路樹として知られ、自治体のシンボルになる例もあります。まれに神社等の境内に立っていることや巨木であることから、いわゆる御神木のように神聖視される木です。では北海道でのケヤキの生育状況はどうなのでしょうか。自生地や群生地をよく知らないですが、例えば北海道での分布が極めて限られるのであれば、本州から種子が持ち運ばれた可能性はあるでしょう。陣屋跡内のケヤキは日清・日露戦争戦没者の忠魂碑の真後ろに位置することから、戦没者の関係者が御神木として本州、それも故郷のケヤキの種子を持ってきて忠魂碑の後ろに植えたと考えられないでしょうか。 ほかにも約150年前の陣屋跡に関係する、つまり南部藩の関係者が植えたということも否定できませんが、この点は重要なことなのでよく検討する必要があります。いずれにしても、いろいろな想像が膨らんできます。もう少し調べる余地がありそうです。
by dounan-museum
| 2016-10-09 10:00
| コラムリレー
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