カテゴリ
全体 コラムリレー 市立函館博物館 函館市縄文文化交流センター 北海道立函館美術館 函館市北方民族資料館 函館市文学館 五稜郭タワー 函館高田屋嘉兵衛資料館 土方・啄木浪漫館 北海道坂本竜馬記念館 北斗市郷土資料館 松前町郷土資料館 松前藩屋敷 知内町郷土資料館 七飯町歴史館 森町教育委員会 八雲町郷土資料館 福島町教育委員会 江差町郷土資料館 上ノ国町教育委員会 厚沢部町郷土資料館 乙部町公民館郷土資料室 奥尻町教育委員会 大成郷土館 ピリカ旧石器文化館 テーマ「道南の考古学」 テーマ「道南の自然」 テーマ「道南の農業開発の歴史」 テーマ「松浦武四郎が見た江戸時代の道南」 テーマ「道南の美術を知る」 テーマ「幕末維新・箱館戦争」 テーマ「道南のアイヌ」 事務局 未分類 お気に入りブログ
リンク
以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
最新の記事
記事ランキング
画像一覧
|
本日から11月12日に開催される、当会主催の第7回郷土学講座までの間、日替わりで皆さんへ話題を提供するアドベンドカレンダーが始ります。 今回のテーマは「道南の考古学」 各施設の学芸員たちが、あたえられたテーマに頭を悩ませながら綴る日々を楽しんで頂ければと思います。 というわけで、1日目は七飯町歴史館の山田が綴らせて頂きます。 私は、講座当日には縄文時代と続縄文時代を担当して、話をさせてもらうことになっていますが、ここでは、私の所属する七飯町の遺跡の紹介をさせて頂くことにします。 紹介する遺跡の名は、聖山(せいざん)遺跡。 きっと、多くの方には聞き覚えのない名だと思いますが、1973年から74年は東北大学が中心となり、第1次、第2次調査が、そして1976年から77年は北海道大学が中心に第3次調査を行い、総面積が10,550㎡にもなり、北海道内の大規模発掘の先駆けとなったものです。理由は定かではないですが、この場所を「ひじり山」と呼んでいたことから、「聖山遺跡」という名称になったと伝えられます。 場所は、七飯町の峠下地区。北海道新幹線の「新函館北斗駅」から国道5号方面を望んだ、ほぼ正面にある山の中腹に位置し、現在は電源開発(株)の北本連系電力所となっています。遺跡のあった場所からは、新駅が一望でき、商業施設や国道が通るなど、縄文時代の人々が予想もしなかった光景が広がっていることになるでしょう。 さて、聖山遺跡は縄文時代晩期の遺物が主体で、住居や墓、貯蔵穴といった日常生活に必要と考えられる遺構がみられないかわりに、15ヶ所の遺物集中区域で構成されており、炉、合わせ口の土器、石器の原石や剝片を納めたピットが見つかったことなどから、ムラというより遺物廃棄の場として利用されていたと考えられています。 そして、廃棄ブロックごとに、出土した土器を丁寧に文様や形の組み合わせなどを分析し、「聖山式」という型式を設定しました。現在、聖山式土器は七飯町歴史館でいつでもご覧いただけます。 聖山式の特徴は、「沈線多重手法」とよばれる線の描き方です。これは、細い棒やヘラのような道具で並列に線を重ねて描くことで、幅のある凹部をつくりだし、文様が浮き立つようにしています。 この手法で、三叉状の模様を組み合わせる「連繋入組文」とよばれるものや、「工」という字を変形させてつなぐことで、ラーメンどんぶりに描かれる渦巻きみたいな模様を描く「横位連続工字文」と呼ばれるものがよくみられます。 さらに、廃棄ブロックのごとに、両模様がどのくらいの割合で出現するかを分析した結果、入組文が主体的に施される時期から、工字文が主体となる時期へ漸移的に変遷することも解明されました。そのため、この文様の違いをもとに、前者を聖山Ⅰ式、後者を聖山Ⅱ式とさらに細分しています。 この発掘調査による成果は、単に出土した土器を基に新たな型式設定がなされただけではなく、東北地方を中心に道南へも広がっていた亀ヶ岡式系土器の編年研究においても重要な役割を果たしたこと、地方自治体が携わっていた発掘でありながら学術調査に等しい、遺跡の全体像がほぼ明らかにされた点も特筆に値しまする。 そして何よりも、この大規模調査に携わっていた調査者たちが、その後、日本各地で考古学会を牽引する活躍をしていることが、何よりもこの調査の成果であり、その一人に私の前任者であった故石本省三氏も含まれている。 近年、史跡整備された遺跡を中心に観光への活用や世界遺産への登録を目指すなど注目を浴びる中、40数年前行われた聖なる山での記憶は、そういった喧噪から外れるように今も静かに展示されている。
by dounan-museum
| 2016-10-19 17:19
| テーマ「道南の考古学」
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||