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市立函館博物館の保科です。 9月17日(土)から新たな収蔵資料展がはじまりました。今回門外漢ではありますが、考古の展示の一部に関わりました。 正直なところ、私は多分縄文土器も続縄文・擦文土器も区別ができないくらい考古音痴だと思います。そんな人間が考古の展示に関わっていいのかとお叱りを受けるかもしれません。今回は考古資料だけではなく民族・民俗・美術の資料も展示しつつ、「縄文時代」を想像してもらうコーナーにしたいという案を出し、実物資料については考古担当に選んでもらいましたので、ご安心下さい。 「縄文時代を想像する」と書きましたが、「自然と共生し、豊かな精神性を持ち、戦争もなく、一万年続いた縄文の世界」を想像していただきたいわけではありません。不遜な考えではありますが、そうではない「縄文時代」を想像するきっかけになっていただければという、ちょっと恣意的な展示内容です。そのため、編年順でもなく、遺跡別でもなく、道具別でもなく、種々雑多で携帯電話まで展示していますが、どうぞご了承下さい。 今回の展示は、3台のケースを使用して「想像するコーナー」と題しました。 一つ目のケースには、縄文時代の石皿・すり石・ナイフ、中世のすり鉢、現代の包丁・カッター、そして携帯電話。案を出して展示もしたので自分では違和感はありませんが、何も知らないでご覧になった方は「ん?…」と思われるかもしれません。「ん?…」と思っていただいて趣旨を読んでいただき、さらに「う~ん」と思っていただければ幸いです。 この展示では携帯電話は5千年後の発掘資料という設定で展示しています。5千年後、携帯電話は私たちが思っているように「携帯電話」として認識されているのかを提示しつつ、それでは現在私たちが「縄文時代」や「縄文土器」と呼んでいることがはたして適切なのかを何となく思っていただければという意図があります。 すばらしい縄文時代を否定するつもりはありませんが、疑問を持つことくらいは許していただければ。疑問を持ったことをこのケースで表現してみました。 まずナイフですが、現代では包丁は職人でなければなかなか製作することはできません。それでは縄文のナイフはどうなのでしょうか。「縄文人」なら誰でも製作できたのでしょうか。私は職場でカッターを使う際は、カッター定規やカッターマットを使います。 「縄文人」はそういうものを使わなくても、まっすぐにカットできるのだろうか。縄文時代の石皿やすり石は各地で大量に出土しているようですが、一家に一台、一人一台? すりつぶしたものはすぐ食べる?保存する?保存するのは土器?ここで二つ目のケースに移ります。 中央に土器を置き、右に酒樽・味噌樽・醤油樽、左にシントコを展示しました。 現代人の私にとって、土器は何故こんなに使いにくい形をしているのだろう、何を入れていたのだろうと思います。何かを入れたものとして仮定して、現代の樽を置きました。 実はこの土器にはタガ状の模様が付けられています。竹製のタガが付いている味噌樽・醤油樽と比べてみて下さい。(詳しくは当館学芸員の小林さんが書いた第68回コラムリレーをご参照下さい) シントコには今話題の六文銭の印が施されています。シントコはアイヌの人たちが儀礼の際にお酒を入れて使用したようです。 しかし、もともとは和人社会からもたらされたもので、和人社会では食物を入れて運ぶ容器だったようです。使い手が変われば、道具の使い方も変わる。土器も地域によって使い方が違うのでは、なんて思ってしまいました。 シントコから左に目を移すと、三つ目のケースに、あれ、ミニチュアシントコ? ミニチュアシントコ?それは雛道具の行器(ほかい)です。雛道具の行器には貝あわせの貝などが入っている場合があります。 雛道具は他に、書棚・鏡台・本膳を展示しました。雛道具の本膳の横には、本当の本膳を展示しました。立派な雛道具の本膳は本膳の二の膳のようにも見えます。 そして中央にはメイン資料のミニチュア土器。ミニチュア土器の用途は不明ですが、儀礼や儀式の道具という説が有力なようです。 かわいい娘に立派な雛人形を買いそろえる、「縄文人」の親だって子どもはかわいい存在だったと思いたい。そんな気持ちでミニチュア土器を見ていると、なにか違うものに見えてきます。そんな非科学的な見方でいいのかと、思いつつ…。 最後に河井寛次郎の逸品? 陶芸家、民芸運動の第一人者として有名な方の作品をこんな種々雑多な資料といっしょに展示していいのか! ミニチュア土器も結構、民芸のような気がする。 ナイフと同様、土器も本当に誰もが作れたのだろうか。国宝になるような土器・土偶は有名な「作土器家」が製作したのではないだろうか。有名「作土器家」のところには、遠くからも注文が入るのではないだろうか。結構儲かるのだろうか。 「豊かな精神性」を物語る造形美や文様は、実は特定の人物の作品であったり、ある「工房・じょうもん」で製作されたものもあるのではないだろうか。そんな邪推まではしなくても、少しだけ定説とは違う「縄文時代」に想像を巡らせるのも悪くはないのではないでしょうか。そんな想いを込めて、今回の「想像するコーナー」を展示しました。 昨今、もの言えぬ閉塞感漂う時代、数千年後に今の時代が「閉塞時代」と表現され、その時代の象徴としてケータイやスマホが展示されているかもしれません。 土器や石器を展示しながら、「一万年続いた縄文時代」に「縄文人」は自由だったのだろうか。縄文人の声は聞こえませんでした。
by dounan-museum
| 2016-11-04 06:00
| テーマ「道南の考古学」
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