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市立函館博物館の奥野です。 ■ 謎の物体とその正体 その資料とは下の写真のような「物体」です。一見して???。 丸いボール状と真ん中から2つに切られた「物体」 よく見てみると・・・。骨それも魚の脊椎骨(背骨)らしきものが見えます。どうも魚の骨を集めてボール状にしたもののようです。 そこまで見たところで、ピンときました。 市立函館博物館に着任する前、2000年(平成12)~2001年(平成13)にかけて、博物館友の会の会員として博物館関係の新聞記事調査に参加しましたが、その時に次のような記事を見たのを思い出したのです。(この時の調査は「市立函館博物館新聞記事目録」としてまとめ『市立函館博物館研究紀要』第14号で紹介しています。博物館の研究紀要は、ホームページで全て見ることができます。) 少し長いのですが、1882年(明治15)7月15日付「函館新聞」から関係記事をそのまま引用します。 「鯡骨の塊 なんと、謎の物体の正体はニシンの骨の塊でした。大量の死んだニシンが波間で骨になりその骨(脊椎骨や肋骨など)が複雑にからまりあって、ボール状になり、浜に流れ着いたものということのようです。 この「鰊骨の塊」には続報があり(明治15年8月28日付「函館新聞」)、次のように掲載されています。この記事もそのまま引用します。 「鯡骨の塊 さらに江差から1個送付されてきたので、試験のために真ん中から切断して中を観察したことなどが書かれています。なお、ニオイはもうありません。 形状、個数、状態とも当時の記事に見事に一致しており、少し晴れ晴れしい気分になりました。 というのも、博物館の学芸員は、華々しい展示や講座、調査研究などを仕事をしているものだと思われがちですが、少なくとも当館ではそのようなことはなく、地味な資料整理が大きな比重を占めているからです。 ■ 資料整理の道 今回の「ニシンの骨の塊」は、履歴が分からなかったため、資料として登録せずに保管していた資料群の再整理のなかで判明したものです。 資料の写真を撮り、計測し、履歴の調査が終わりましたので、今後、データベースに必要事項を入力し、晴れて博物館資料として「登録」され、展示・調査・研究事業に供されることとなります。 今回のようなケースに加え、商品陳列所や市立函館図書館の時代、1966年(昭和41)の開館頃に大量に収集した資料群など、登録されているもの・履歴が明らかでなく登録されていないものを含めて、再整理・再調査の必要に迫られています。 資料の整理手法も日進月歩です。 日々の業務のなかで、これらの機器を駆使しながら、限られた予算・人員・機材のなかで、どのようにしたら効率的で、資料の保存によいのかを常に考えながら、時間を作っては整理にあたる、というのが日常です。 往時を物語る「もの」との出会いの前には、たゆまぬ資料整理の道が待っています。
by dounan-museum
| 2017-08-11 05:24
| コラムリレー
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