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こんにちは。五稜郭タワーです。 函館市中央図書館と五稜郭タワーの共催による講演会についてご案内致します。 年二回、実施している講演会ですが、この度は、幕末から明治中葉の函館において俳句の普及に努めた孤山堂(大塩)無外をテーマと致します。 その後、明治8年には北海道開拓使の会計課に勤めた他、函館公園の造営に際して、公園の「監守」として、孟宗竹の植え付けや梅・菊などを栽培して公園の美化に尽力。また、函館八幡宮の神職を務めるなどしています。 講師には、元函館博物館々長、箱館奉行所館長などを務められた、市立函館博物館友の会々長の 田原良信氏をお願いしました。孤山堂無外が明治26年(1893)に亡くなってから130年。幕末から明治へと、函館に残した無外の足跡を紹介して頂きます。 「函館緑叢会建立無外之井戸と無外翁の碑」(函館市中央図書館蔵) 「梅探る栞や藪の古井筒」 日 時 : 2023年12月9日(土) 14:00 ~ 15:30 (開場 13:30) 場 所 : 函館市中央図書館(函館市 五稜郭町 26-1) 視聴覚ホール 講 師 : 市立函館博物館友の会 会長 田原良信 氏 定 員 : 150名 (当日先着順。直接、会場にお越しください) 参加料 : 無料 ご参加をお待ちしております。 #
by dounan-museum
| 2023-11-25 16:00
| 五稜郭タワー
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市立函館博物館の福田です。 私が最初に「円筒土器」に出会ったのは、学生時代に江差町茂尻C遺跡の発掘調査に参加したときのことでした。初めて円筒土器(上層式)を手にしたときはいかにも「ザ・縄文土器」といえる躍動的な造形性に惹かれたことを記憶しています。そんな思い入れのある円筒土器を今回紹介します。
円筒下層式(上)と円筒上層式(下) 「円筒土器」とは、読んで字のごとく円筒形をした厚手の縄文土器で、名付け親は人類学者の長谷部言人博士です。円筒土器は、縄文時代前期から中期(約6000年~4500年前)にかけて道南地域から北東北一円で作られ、円筒土器文化圏を形成していました。国内最大級の縄文集落として有名な青森県の三内丸山遺跡は円筒土器文化を代表する大規模集落です。 円筒土器は古くから東北各地でみつかっていて、江戸時代には弘前藩の記録や紀行家の菅江真澄によるスケッチが残されています。明治時代に欧米から近代考古学が導入されて以降、全国各地で精力的に発掘調査が行われましたが、津軽地方のオセドウ貝塚などの層位的な発掘調査をもとに、先述の長谷部博士が下の層から出土した土器を「円筒土器下層式(以下、「下層式」)」、上の層から出土した土器を「円筒土器上層式(以下、「上層式」)」に大分し、土器研究の大家である山内清男博士がさらに下層式を四形式に細分し、本州各地の土器と対比させました。その後も多くの研究者により各地で発掘調査が行われ、膨大な資料の集積とともに研究は土器研究のみならず、円筒土器文化全体におよび現在も深化し続けています。 北海道でも道南各地で円筒土器が出土していましたが、中でも明治時代から知られた旧亀田村(現函館市桔梗町)のサイベ沢遺跡は北海道を代表する縄文遺跡の一つであり、昭和24年(1949)に函館博物館が北海道大学の児玉作左衛門博士と大場利夫博士の指導のもとで発掘調査を実施しました。層位的な調査の結果、大きく七つの文化層から出土した土器を円筒土器に対比させた「サイベ沢式」土器編年が設定された標識遺跡として知られ、今日でも道内ではこの編年が多く使われています。 その後函館市内では、函館空港の拡張工事に伴う大規模な発掘調査が行われた函館空港4遺跡(函館空港第4地点)をはじめ、合併前の旧4町村を含む市内各地で円筒土器文化期の遺跡がこれまでに数多く発掘調査されて、膨大な資料が出土しています。このうち市内9遺跡出土資料を中心に、令和5年(2023)10月24日から令和6年(2024)6月23日まで収蔵資料展「函館の円筒土器文化」を開催し、土器は約100点、石器や土偶など約120点を展示しています。 円筒土器のうち下層式は、静かな佇まいの中に多種多様な「縄目」にこだわる文様が特徴ですが、中には文様帯に幾何学的なモチーフを付けたものもあり、独特な雰囲気を醸し出しています。一方、上層式は口縁部に大きな花びらのような突起がつけられるものが多く、文様帯には粘土紐を使った立体的で躍動的な装飾が特徴です。いずれの土器も一定のルールに従って作られながら一つ一つが個性あるもので、じっくり鑑賞していただき円筒土器の魅力を感じていただければ幸いです。 #
by dounan-museum
| 2023-11-18 17:24
| コラムリレー
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知内町郷土資料館の竹田です。別に増長したわけではありません。 知内町では毎年9月になると祭が続きます。各地区に神社があり、それぞれ2日間宵宮→本祭が行われ、時には本祭と別の神社の宵宮が同じ日に重なるため、ほぼ毎日どこかでお祭り状態です。日ごとにどこかで幟が立っています。 その祭シーズンの最後が雷公神社の例祭で、9月22日に行われます。 雷公神社の例祭は1年ごと周り順番で4つの町内会が祭の当番にあたります。そしてその町内会から主に厄年の人を、猿田彦として出しています。猿田彦は天狗の面をつけることから、ズバリ天狗と呼ばれています。 祭の数か月前のある日、資料館に町内会の人が来て聞かれました。 「誰か厄年の人心当たりない?」 自分は全てを察しました。 「…ここに…います…」 今年の天狗が決まりました。 さて、祭の当日ですが、朝から神輿渡御が行われます。 神社で衣装に着替えて天狗のお面をつけ、朝9時に神社を出発。町内を歩きます。猿田彦は天狗面をつけて視界が悪い上、下駄履きなので袖持ちと呼ばれる人がつきます。 猿田彦は先導の役割もあるとされるのですが、あれ、みんな出ちゃったけど自分いかなくていいのかな… 【悲報】猿田彦、置いていかれそうになる 雷公神社の今年の行列には次のような人がいます。 先棒→のぼり→社名旗→猿田彦(と袖持ち)→御幣→塩打ち→獅子頭→尾→お散米(おさご)受け取り役→神籬(ひもろぎ)→五色旗(緑・黄・赤・白・紫)→笛太鼓→祭典委員長→氏子副総代長→神職→四ヵ散米行列(杵・剣・刀・弓)→お散米箱→釜清め 雷公神社では神輿渡御に四ヵ散米行列が加わります。子ども達が笛や太鼓に合わせてそれぞれ道具を振りながら歩きます。この行列は進む道を祓い清める役割があるとされています。 なお、松前神楽に四ヵ散米舞という演目があり、こちらは折敷・弓矢・剣・太刀を使ったものとなります。 行列では家の前に人が出ていて、お獅子が頭を噛みます。新型コロナウィルスの流行もありましたが、外に出て迎える人たちがたくさんをみると地域に根付いた行事だということがわかります。昼過ぎまでかかっておよそ7.5kmを歩きました。神社に戻り、着替えたのち本祭と松前神楽が行われました。 この猿田彦の役について、厄年の人があたるものだと聞いていたのですが、後で聞いた話だと昔は天狗をやりたいという人が多く、そのため厄年の人をあてるようになった、ということでした。以前よりまちの人口も減り、厄年でない人があたる場合もあります。そんな中でタイミング良くまわってきたのです。この手の仕事をしているので良い経験になりました。 それにしても厄年っていろいろな役があたるものですね。 (写真は全て以前の行列のものです。また、猿田彦は筆者ではありません) #
by dounan-museum
| 2023-11-12 19:49
| コラムリレー
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皆さん、こんにちは。 七飯町歴史館です。 「つつむ〜パッケージという文化史」を開催いたします。 この展示は「つつむ」という行為にフォーカスし、 現在、流布している商品パッケージへの変化を考えることで、 パッケージを文化として捉えられないかと企画しました。 展示するために、職員が地道に食べたカップ麺 #
by dounan-museum
| 2023-11-10 16:16
| 七飯町歴史館
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蝦夷地へ渡り、新しい国を開きたい、との思いを終生持ち続けながら、果たすことが出来なかった坂本龍馬。したがって、函館に龍馬の足跡を見ることはできない。しかし、その志を継ぐもの、あるいは縁のあるものが、龍馬と函館を繋いでくれる。 龍馬の片腕として活躍した甥の高松太郎は、龍馬死の6カ月後、新政府の役人として箱館の地を踏んでいる。箱館奉行所権判事となった彼は、龍馬が思い描いていた蝦夷地開拓計画を新政府に提言していた。長らく龍馬と行動を共にし、龍馬の想いを深く受け止めていた彼だからこその行動だろう。 高松太郎は、龍馬らと結成した亀山社中の初期メンバーのひとり。のちの薩長和解にも一役買い、海運、貿易を行なったこの社中で、彼もユニオン号購入などで活躍する。薩摩藩や商人などの援助で設立された亀山社中、その拠点となったのが長崎、龍馬が活躍した舞台でもある。 龍馬が師と仰いだのが勝海舟。その海舟の建言のもと、神戸に海軍操練所が設立されたのは元治元年5月。龍馬はもちろんのこと、龍馬から誘いを受けた高松太郎も、ここで航海術を学んでいる。残念ながら、翌慶応元年3月には操練所は閉鎖されてしまうのだが。その後海舟は、龍馬の15周忌に高松太郎(坂本直)に追悼詩を送っている。「歳月は転がる球のように過ぎ去って、追想することも漠然となった」と偲ぶ内容。 龍馬の死後、妻・お龍は苦労したと言われる。龍馬さえ生きておれば・・・と思っていた彼女は、土佐、京都、東京などを転々とすることとなり、明治7年から1年余りは海舟らの紹介により、横浜の「田中家」という料亭で仲居を務めている。この料亭の前身「さくらや」は、安藤広重の東海道五十三次・神奈川宿にも登場する老舗で、現在も横浜市神奈川区で営業している。 #
by dounan-museum
| 2023-10-31 10:42
| コラムリレー
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