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by dounan-museum
| 2026-03-27 17:39
| 知内町郷土資料館
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乙部町公民館郷土資料室です 乙部町文化財保存センターには、陶磁器製の缶詰代用容器が収蔵されています。しかも開封時に生じるキズなどがなく、未使用のままの模様です。 私は見た時から考え込んでいました。 これは防衛食容器(防10)というブリキ缶詰の代用品で、ブリキは薄い鉄板にスズをメッキしたもののため、金属が不足した代用品として大量に製造されたものです。 ここでちょっと歴史背景をみてみましょう 昭和16年(1941)8月、「金属類回収令」が勅令で出されました。同年ころから金属以外の素材で缶詰のように長期保存な容器を代用する構想が出てきました。さまざまな試行錯誤を経て昭和18年以降に本格的に容器製造がはじまりますが、この頃にはもう、中に入れる食糧そのものが不足しており使われないまま多くが敗戦後の軍事物資放出で市場に出回りました。この流れは、昭和13年(1938)の「国家総動員法」と、昭和15年(1940)から徐々に消費者物資10品目(米・味噌・醤油・塩・マッチ・砂糖・木炭など)を手始めとする配給切符制と密接に関わっています。 お気づきの方もいると思いますが、「国家総動員法」「消費者物資10品目を手始めとする配給切符制」「金属類回収令」このいずれもがアメリカやイギリスなど連合国との「太平洋戦争開戦前に行なわれている」のです。つまり昭和12年(1937)からの日中戦争の時点で日本の国力は疲弊しさまざまな統制が行われていったのです。 そしてそのような物資欠乏の結果代用としてこのような陶器製代用缶詰も開発され、わが町乙部でも終戦の年に機雷などによる経済封鎖の余波を受け、道庁主導奨励で「自給のため製塩」場を作る議決をするほど物が足りなくなっていました。その当時の戦争関係標語のひとつが「欲しがりません勝つまでは」です。つまり国民はさまざまな無理負担を強いられていたのです。 この事でみえてくるのは・・・ 私個人としては、平和時の民主国家の本来の在り方が「国家が国民のために存在する」のに対して、現代国家の総力を挙げて行なう戦争時には「国家が国民へさまざま事を強いる」ことだと考えています。 実際、2022年から始まったウクライナ・ロシア戦争では、ウクライナ政府が兵隊になりえる年齢男性の出国を禁じたりしています。これだけでも充分、国家が国民に強いる好例といえるでしょう。 だから私は、石破前総理が「国が何をしてくれるかを聞くな、一人一人が国ために何ができるかを聞けとケネディが言いましたよね。それはそうだと思う」という発言をした際に眉をしかめました。本来のケネディ元大統領の言葉でさしていたのは「countory」で、意訳すれば故郷が近いでしょう。それを「国家」という意味にしてしまったら、国民が国家のために居ることになります。それは健全な民主国家の在り方だとは思いません。 日本は昭和20年(1945)に敗戦してから80年、直接的には戦争をしていません。先進諸国として私はとても素晴らしい事だと思います。それをこれからも続けていくためには、どの政権であっても、あくまでも「国民のために国家が存在する」姿勢であってほしいと思います。 #
by dounan-museum
| 2026-02-20 17:34
| コラムリレー
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![]() □ お問い合わせ 知内町郷土資料館(01392-5-5066) #
by dounan-museum
| 2026-02-05 14:20
| 知内町郷土資料館
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北海道坂本龍馬記念館 柳田です。 明治の訪れを見ることなく、この世を去った坂本龍馬。そんな彼は、明治の世で人々の心の中に復活し、昭和の戦後で再び、人々の心を惹きつける存在となる。そこにはことごとく、彼の魅力を描いた大衆文化作品が大きく影響している。 明治16年、坂崎紫蘭によって書かれた龍馬の一代記『汗血千里駒』。この小説によって、後世に伝わるヒーロー像が造り上げられた龍馬は、明治37年の日露開戦前夜、昭憲皇后の夢枕に立ったことで、国民の士気を鼓舞することにもなった。 ![]() 時を経て、戦後日本にその名を広く世に知らしめたのは、戦後昭和38年から産經新聞夕刊に連載された小説『竜馬がゆく』なのは、間違いない。一介の土佐脱藩浪士が、維新の立役者にまで上り詰めるストーリー、司馬遼太郎が描くその魅力的な竜馬像と相まって、龍馬に魅かれる人々が急増した。小説は、竜馬が暗殺される場面で終わるが、「若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押し開けた。」という完結文もまた、龍馬のヒーロー像を後押ししている。 「血の気の熱いころにこの風景(富士山)をみて感じぬ人間は、どれほど才があっても、ろくなやつにはなるまい」と寝待ノ藤兵衛に発した竜馬は、「~一瞬でもこの絶景をみてこころの内がわくわくする人間と、そうでない人間とはちがう」とも言う。「日本一の男になりたいと思った」竜馬は前者だが、少なからず自分にもそんな経験があった、と共感した人々は、ますます坂本龍馬という人間に惚れ込んでいった。 ![]() 昭和も終わりに近づいた61年、今度は漫画『お~い!竜馬』が注目を集める。大ファンを自認する武田鉄矢原作のこの漫画には、『竜馬がゆく』にはない幼少時代も描かれている。弱虫でいじめられっ子だった竜馬が、剣術との出会いで目覚めるきっかけを掴み、その後もひとつひとつの新たな出会いから、自分が歩むべき道を見つけ、大きく成長していく物語。いつもは飄々としている竜馬の内に秘める熱い想い、それが読者にビンビン伝わってくる場面が、数多く散りばめられている。 「長州がなんじゃー‼薩摩がどうしたーっ‼まだそんなちっぽけな、藩の体面や意地にこだわっちょるがかー―っ・・・。この同盟は、長州のためでも薩摩のためでもない‼日本のためじゃ‼」薩長同盟締結を前に、決心の鈍る桂さんへ発した竜馬の言葉。ほとばしる熱い想いが伝わってきて、ますます人々は坂本龍馬に惹きつけられていった。 ![]() 平成に入ると、福山雅治が主演を務めた大河ドラマ『龍馬伝』が世間を騒がす(平成22年)。福山竜馬の格好良さも相まって、坂本龍馬への世の中の注目度が俄然、高くなった。当記念館は平成21年11月15日の開館、実際『龍馬伝』で坂本龍馬を知って来館くださった方も多い。また、このドラマはアジアでも放映されていて、『龍馬伝』を観て来館された海外(特に台湾)の方も多く、海外での龍馬への注目度も増していった。 令和4年には『幕末相棒伝』が放映される。これは小説『相棒』が原作、坂本龍馬と土方歳三がタッグを組んで、将軍暗殺未遂事件を追うという内容、龍馬の新たな一面が引き出された作品といえる。このような経緯を経て、戦後80年を迎えた現在も坂本龍馬は、「好きな歴史上の人物ランキング」で常に上位に顔を出す存在となっている。今後、戦後100年、200年を迎えても、龍馬の魅力は様々に形を変えながらも、語り継がれていくことだろう。
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by dounan-museum
| 2026-01-24 15:17
| コラムリレー
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上ノ国町教育委員会 塚田です。 上ノ国では、第2次世界大戦後の昭和23~27年に米軍進駐軍が大崎地区に駐留し、上ノ国中央尋常小学校洲根子分教場などを一時閉鎖して使用しました。しかしながら、当時の様子を記録した資料があまり発見されておらず、米軍進駐軍が地域でどのような活動をしていたのかはよくわかっておりませんでした。 写真には、沢村才蔵村長(前列右から4番目)が写っていることから、村長第1期目の在職中(昭和23~26年)頃と推測されます。このほかにも米兵と地域の人たちが写った写真が残されており、デジタルアーカイブ「かみのくにまるっこまんま!!デジタルミュージアム」で紹介しております。 資料の詳細は、今後の調査で進めていく予定ですが、順次集められた資料についてはデジタルアーカイブで紹介していく予定ですので、是非ご覧いただきたいと思います。
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by dounan-museum
| 2026-01-20 00:13
| コラムリレー
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