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ピリカ旧石器文化館の矢原です。 4月29日より、ピリカ旧石器文化館ガイダンスホールで今金町内の馬具資料を集めた企画展「ひと・馬・いまかね」を開催いたします。 かつての北海道では、馬は農林業や土木業に欠かせない存在として、またばん馬競争や競馬など娯楽の対象としても、家族のように生活に溶け込んだ存在でした。 今日では町中ですっかり目にすることは少なくなりましたが、人々にとって馬が日常であった頃の生活を、当時の馬具や古写真と共に振り返ります。 ・期 間 2025年4月29日(火)~11月30日(日) 休館日:月曜日もしくは祝日の翌日 ・会 場 ピリカ旧石器文化館 ガイダンスホール ・開館時間 9:30~16:30 入館無料 #
by dounan-museum
| 2025-04-25 13:17
| ピリカ旧石器文化館
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皆さんこんにちわ。 七飯町歴史館です。 新年度もはじまり、静かな時を過ごせるよう願っておりましたが、 そうもいかないようです。 さて、今回は現在開催中の企画展 「広告〜その史料的価値を見出す〜」のご案内です。 皆さんは、部屋の整理などしている時に、古い新聞や雑誌の記事や広告に、 懐かしさや面白さを感じ、ついつい手を止めてしまった経験はないでしょうか? 本展示は、資料整理中のそんな出来事から着想した展示で、 新聞や冊子類は、それ自体が博物館資料として扱われるけど、 それらに掲載されている「広告」にも、史料価値があるのではないか? という視座で構成したため、 戦時中の新聞や大正期の新聞なども展示しております。 それに該当する当館資料をくらべながら見ていただき、 時勢や当時の社会、世相を感じることができればと考えました。 さらに、七飯町で実際に使われていた、商店の広告看板も展示してます。 懐かしく思いながらも、時代の変化を感じていただければ嬉しいです。 会期は3/26〜5/25までで、 月曜日は休館(5/5は開館、ただし5/7休館)となります。 観覧料はいただきません。 9時から17時までご覧になれますので、 ゆっくりと見に来ていただければと思います。 #
by dounan-museum
| 2025-04-16 11:21
| 七飯町歴史館
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せたな町教育委員会の工藤大です。今回はせたな町に生息する「カエル」についてご紹介します。何度かコラムリレーを執筆させてもらっていますが、せたな町の生物について書くのは今回が初めてになります。 今更ながら、地勢を少しご紹介します。せたな町は北海道南西部、日本海に面した檜山管内北部に位置しており、平成17年(2005)9月1日に瀬棚郡瀬棚町・瀬棚郡北檜山町・久遠郡大成町の3つの町が合併し、管内唯一の合併町である「せたな町」が誕生しました。 町の北には島牧村、南は八雲町、東は今金町に接し、日本海を隔てた対岸役27㎞先には奥尻島が相対します。町域の中央部には清流で名高い一級河川の後志利別川、その南側を太櫓川が流れており、北部には道南最高峰の狩場山、メップ岳、カスベ岳など1,000m級の山々が連なり、南部には遊楽部岳や清水岳なども望むことができます。せたな町には動植物合わせて798種ほどが生息しているとされており、その内、両生類は外来・在来合わせてカエル3種、サンショウウオ1種の計4種が確認されています。 さて、皆さんはカエルといえばどのような姿を想像しますか?やはりすぐに、目に浮かぶのは下の写真の様な緑色でしょうか? せたな町に生息しているカエルは、北海道在来の「ニホンアマガエル」と「エゾアカガエル」と国内外来種である「ツチガエル」の生息を確認しています。 ![]() 色はご存じのとおり緑色をしていますが、環境(いる場所)により体色が変わり、茶色、黄色(ちなみに私は黄色になっている個体はせたな町では見たことがありません)、灰色などに変色します。これは周りの環境、温度、湿度、明るさなどに応じてホルモンを分泌し、皮膚の色素細胞を拡張・伸縮させることによって色を変えることができます。 ![]() 上:灰色のニホンアマガエル(2020.9.29 せたな町浮島公園) 下:茶色のニホンアマガエル(2024.9.26 せたな町役場裏玄関にて撮影) なお、基本的に背面には模様はありませんが、色彩変化に伴って茶色や濃い緑色などの迷彩斑紋がでることがあります。また、北海道に生息する在来種であるエゾアカガエルとは違い、指先に吸盤があるためガラス面などの垂直面も登ることが出来ます。 ![]() そして、以外かもしれませんが本種は皮膚粘膜から刺激のある毒を分泌します。この毒は手指で触るだけならまず問題にはなりません。もし手指に傷口があるとチリチリ痛む程度ですが、触った手で目をこすると強く痛み、障害が残る場合もありますので、素手で触ったらすぐに手を洗う必要ありますので、皆さんもご注意下さい。 せたな町に生息するもう一種の在来カエルである「エゾアカガエル」は雄が46-55mm、雌が54-72mmで、メスの方がオスより明らかに大きく、雄は下顎に左右1対の鳴嚢があり、体色は黒褐色から赤茶色。眼の後ろから伸びる背側線は鼓膜の後ろでゆるく曲がります。 この「エゾアカガエル」と「ツチガエル」は色も似ていれば、大きさもほとんど同じですが、ツチガエルは背中に小隆条(イボイボ)を持つが、エゾアカガエルは背面に目の後ろから後肢付け根あたりまで伸びる稜線、目から前肢に伸びる眼線があるので、よく観察すれば見分けることが可能です。 国内外来種である「ツチガエル」は、せたな町を含めた21市町村(札幌市・江別市・旭川市・七飯町など)に分布しており、本州産のコイを持ち込む際に紛れて北海道にやってきたとされており、捕まると臭い粘液を分泌します。 左:ツチガエル(2022.6.7 せたな町B&Gプールで撮影) 右:エゾアカガエル(2020.9.29 せたな町玉川神社境内にて撮影) このカエル達は隠れるのがとても上手です。下の写真には2匹のアマガエルが写っていますが見つけれるでしょうか? こちらは灰色のアマガエルです。写真の中央あたりを注目してみてください。 ![]() ![]() エゾアカガエル(2020.9.29 せたな町玉川神社境内にて撮影) 如何でしょうか?一見すると中々見つけられないと思います。皆さんもお散歩のさいにはカエル達とのかくれんぼを楽しんでみてはいかがでしょうか? せたな町教育委員会 工藤 大
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by dounan-museum
| 2025-03-02 16:32
| コラムリレー
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by dounan-museum
| 2025-02-27 10:47
| 知内町郷土資料館
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これはかつて松前町でよく用いられていたキャッチコピー。ですが、文化財担当者として申し上げると、その使用には少し注意が必要です。そのワケをお話します。 松前城より後に築城された城 松前城は安政元年(1854)に完成。 その後、北海道では元治元年(1864)に函館市の五稜郭、明治元年(1868)には厚沢部町の館城などが築城されました。 また、文久3年(1863)には長崎県五島市の石田城(福江城)、明治2年(1869)には京都府南丹市の園部城も竣工しています。このように、全国で松前城の後にもいくつかの城が築城されました。 「日本式城郭」って? では、「日本式城郭」とは一体何を指すのでしょうか。実は、明確な定義は存在しません。例えば、五稜郭は皆さんもご存じの通り、稜堡(りょうほ)と呼ばれる角のある星形の城です。この形は約500年前、ヨーロッパで考案されました。 西洋の技術を導入してつくられた城郭に対して、稜堡を持たず、御殿などの礎石建物、瓦や石垣といった要素を持つ城と「日本式城郭」としましょう。 そうすると、西洋の技術に基づく五稜郭を除いた上述のすべての城は「日本式城郭」になります。松前城は「最後の日本式城郭」と呼ぶには適さないかもしれません。 なぜ「最後の城」? ところで皆さん、お城といえば天守があるものだと思っていませんか?実は「城」とは礎石建物のひとつである「天守」だけを指すのではなく、土塁や堀などで形作られる広大な縄張り(全体の構え)を指すものです。 先ほど挙げた城の中で、園部城には櫓がありましたが、天守を持つのは松前城のみ。「城=天守」と考えた場合、松前城を「最後の日本式城郭」と呼びたくなった理由が見えてきます。 同期?北の城と南の城 最初に挙げた城のひとつ、「石田城」。こちらは北海道から遠く離れた長崎県・五島列島の福江島に位置していますが、松前城と同じ時期に築城されました。この2つの城が幕府に築城を認められたのは、嘉永2年(1849)のことです。どちらも津軽海峡や五島灘を守る要所として、迫る外国の脅威に対応するために設置されました。両城には、台場(砲台)が設けられていたことが特徴です。 石田城には天守がありませんが、石垣や堀が残されており、現在は城内に五島高等学校や歴史資料館が建っています。 お城の魅力は変わらない 築城された順番に関わらず、どの城もそれぞれ特徴を持った貴重な存在です。このキャッチコピーにも、松前町を盛り上げようとした先人の思いが詰まっていたはず。たとえ「最後の日本式城郭」ではなくても、松前城の魅力は変わりません。 あと少しで桜の季節がやってきます。松前城が1年で最も賑わう時期です。お城は天守を眺めて帰るだけではもったいない!松前城の魅力を存分に感じていただきたく、皆様のお越しをお待ちしております。 (松前町教育委員会 西川) #
by dounan-museum
| 2025-02-10 12:00
| コラムリレー
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