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みなさんこんにちは。 GWの幕開けは雨模様な七飯町からお知らせです。 七飯町歴史館では現在、 企画展「旅の記憶、旅の記録。」を開催しています。 本展示は、令和4年3月に廃駅となった町内の駅で使用されていた 道具や看板などを紹介しつつ、 旅にまつわる記憶と記録を楽しんでもらえればと企画しました。 ![]() ![]() ![]() ![]() #
by dounan-museum
| 2023-04-30 10:11
| 七飯町歴史館
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こんにちは。ピリカ旧石器文化館の矢原です。 ミズバショウが咲き誇る季節となりました。 さて今回は、ピリカ旧石器文化館で4/23から開催する企画展「メノウ展」のお知らせです。 今金町東部では宝石の一種である瑪瑙(めのう)が豊富に存在することが古くから知られており、時代によって様々な利用のされ方をしていました。 約2万年前の旧石器時代のメノウ製石器や現代の精巧なメノウ細工など貴重な資料の展示のほか、今金町の瑪瑙採掘史の解説を行います。 瑪瑙という岩石は非常に多様な顔を見せてくれる面白い岩石です。 ぜひこの機会に、瑪瑙の世界を覗いてみてください。 場 所:ピリカ旧石器文化館 北海道瀬棚郡今金町字美利河228-1 期 間:2023年4月23日(日)~2023年7月23日(日)※月曜休館日 時 間:09:30~16:30(最終入館16時まで) 入館料:無料
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by dounan-museum
| 2023-04-19 10:18
| ピリカ旧石器文化館
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市立函館博物館の保科です。 今回はお店で使っていた道具を紹介します。 その道具は、当館の登録名では「押印」(資料番号601086)としていますが、通称「ポンポン」と呼んでいます。 ポンポンは、商品を入れた俵や木箱などに屋号(家印)などをスタンプする道具です。地域や使うお店によって呼び方は違うようですが、函館のある商店ではポンポンと呼んでいました。江差からご観覧に来たご高齢の方もポンポンと呼んでいました。 柄は木製や竹製で、判部分は木製で硬い毛のようなもので記号が形成されています。柄には所有者の屋号(家印)が刻印されています。 屋号(家印)の読み方は、地域や使用者によって異なる場合があります。紹介するポンポンの中には、屋号(家印)と異なるものも含まれています。ポンポンについては今後、当館ホームページのデジタルアーカイブでも紹介する予定です。(市立函館博物館デジタルアーカイブ (fun.ac.jp)) また、以前に当館では屋号(家印)をテーマにした取り組みをおこなっています。取り組みの内容については当ブログで紹介しております。(研究テーマとしての「情報ブース」第4弾 : 道南ブロック博物館施設等連絡協議会ブログ (exblog.jp))(研究テーマとしての「情報ブース」第4弾 Part2 : 道南ブロック博物館施設等連絡協議会ブログ (exblog.jp)) このポンポンは函館の西浜町(現弁天町)で酒類や雑貨・ガソリンなどを扱っていたワチガイ酒谷商店で使用されていたものです。ワチガイ酒谷商店は、加賀橋立(現石川県加賀市)の商人チガイヤマチョウ酒谷家の船頭をしていた人物が開いたお店です。下記の新聞広告にみられるように神戸・灘の辰馬酒造の「白鹿」の北海道総代理店などもしていました。このポンポンも取引先に商品を届ける際に、箱などに配達先を間違えないように屋号(家印)を押すために使われたものと思われます。 酒谷商店(大正期 個人蔵) 酒谷商店が函館駅前に設置した「ガソリン供給機」の記事(函館毎日新聞 大正15年5月16日) ワチガイ酒谷家に関しては、当館の研究紀要でも紹介していますので、興味のある方はどうぞご覧ください。 ・第28号(KIYOU28-1.pdf (hakohaku.com)) 「ポンポン」という名称や屋号への関心、道具的おもしらさから、これらを多数あつめて展示したいと思う方もいらっしゃると思います。しかし、この道具だけが残されていても、それを使用していた商店の業態もしかしたら商店名すらわからないかもしれません。 博「物」館ですからモノがなくては成り立ちません。しかし、モノだけあってそれを並べているだけでよいのでしょうか。実態を解明するために、さらに多くのモノを集めなくてはダメだと考え、さらに大量にモノを集めることがあります。果たしてそれが整理されて分析されて、ある程度の成果が出るのでしょうか。成果が出ないのは集めかたが足らないからだといわれるかもしれません。 モノを知るために情報も集めてみてはいかがでしょうか。集めたモノや情報は整理して次の代にもわかるようにしておくことも必要ではないでしょうか。俺が集めたモノは俺のものだ!俺の集めた情報は俺の頭の中だ! それではいつまでたっても情報のないモノだけが蓄積されて、朽ち果ててしまうのではないでしょうか。朽ち果てさせないために博「物」館があるのだろうと、お叱りの声が聞こえそうですが。 モノだけではなく少しづつでも情報を蓄積していけば、次の代に新しい成果が産み出されるかもしれません。それも博物館の役割ではないでしょうか。 皆様の益々のご活躍をお祈り申し上げ、お先に足を洗わせていただきます。
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by dounan-museum
| 2023-03-20 10:00
| コラムリレー
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はじめまして、福島町教育委員会の鈴木です。 北海道福島町といえば、千代の山・千代の富士という二人の大横綱を生んだ「横綱の里」としての印象を強く持たれている方が多いと思いますが、今回はほとんど知られていない福島町出身の昭和のプロ選手・藤野文三郎さんをご紹介いたします。 藤野さんは、大正6年吉岡村(現福島町)生まれ。 幼少から地元学校の野球チームで活躍しており、昭和6年開催の北海タイムス社主催の全道少年野球大会函館地区予選や、函館新聞社主催の少年野球大会に、投手として出場していました。 吉岡小学校開校百周年記念をみると、この大会で捕手をつとめた村田恭三さんが当時の思い出を振り返っていました。初めてチームのユニフォームを作り、傷んだグローブを胸に抱き、試合に挑んだこと、地元の応援団を乗せた発動機船が何艘も出るなど、大いに盛り上がった様子もうかがえます。大正から昭和にかけては全国的に少年野球が盛んに行われていました。吉岡村も例外なく野球熱を膨らませていたようです。 ところで、福島町で発動機船が現れはじめたのは大正末期~昭和初期のことです。これは、ちょうど藤野さんが大会に出場していた時期とも合致しています。発動機船は、改良型川崎船に代わって普及したイカ釣り等に利用した船で、実際吉岡小学校の野球チームとその応援団も地元漁師の所持する発動機船で函館市に赴いたようです。 また、発動機船の普及により各地の漁港船入澗の改修が進んだのもこの時期です。藤野さんの学校の近くにある吉岡村船入澗は、昭和5年9月には改修が完了した道南で最も早い時期に整備された船入澗のひとつです。記録には、吉岡小学校の野球チームがどの港を利用したかまで記載がありませんでしたが、改修されたばかりの真新しい吉岡村船入澗から関係者に見守られながら華々しく出発したのではないでしょうか。 その後は、函館商業学校に進学。全国中等学校野球大会の北海道大会準決勝で、時の名投手ヴィクトル・スタルヒンと投げ合うなど、投手として健闘しました。この試合は惜しくも敗れましたが、その戦いぶりがプロの目に留まったのか、昭和12年に「後楽園イーグルス」という新設のプロ野球チーム(のちの大和軍)に入団し、その年は23登板51奪三振という結果を残しました。 しかし、藤野さんは、翌昭和13年1月のシーズン開幕直前に徴兵され、たった1年で球場を離れることとなってしまいます。新設の野球チームで「まだまだこれからが本番」という時期に、どんな想いで戦場に向かったのでしょうか。戦いを終えた藤野さんは無事帰国を果たしましたが、日本のプロ野球界に戻ることはありませんでした。 令和3年4月、東京都にある野球殿堂博物館の「鎮魂の碑」に藤野さんの名前が刻まれました。「鎮魂の碑」では、日本プロ野球草創期にその青春を燃やし、プロ野球の礎を築き、戦争に散華していった選手たちの名前が記されています。みなさんも、機会がありましたら是非お立ち寄り下さい。 【参考】 1975 『創立百周年記念誌』吉岡小学校開校百周年記念事業協賛会記念編集部 編 1997 『福島町史』第3巻通説編下巻 福島町史編集室 編
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by dounan-museum
| 2023-03-19 23:37
| コラムリレー
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知内町郷土資料館の竹田です。 津軽海峡に面した知内町は日本海から太平洋に向けて海流が流れており、その流れを利用したカキの養殖が行われています。カキはちょうど今が旬で、先日町のもう一つの特産品であるニラ(こちらも冬が旬)と合わせて「しりうち味な合戦冬のカキVSニラまつり」が行われました。 さて、そのカキの養殖を行っている中ノ川地区からもう一つの漁港のある涌元地区付近までは砂浜が続くのですが、海岸を歩くと様々なものが流れ着いています。昨年の話になりますが町民の方々と観察会を行いました。今回はそれについて書いてみたいと思います。 海岸を歩いて漂着物を探すのはビーチコーミングといって各地に愛好家がいます。浜(ビーチ)を櫛(コーム)の歯のように歩くと貝や石、漂着ごみなどいろいろなものを目にすることができます。各自の感性で気になったものを拾い集めました。カラフルな石や貝殻、イカの甲、外国のゴミや漁具など、様々です。 ![]() 外国のものでよく見つかるのが韓国語の書かれたものなのですが、それ以外の国のものもあり、東南アジアのお菓子の袋やロシアのものもあります。おそらく台湾のものと思われるわさびのチューブはなぜかうらに「わさび」。日本語です。 一時期日本海側の浜から注射器がたくさん流れ着いて注意が呼びかけられたことがありました。津軽海峡ではまだ見つかってなかったので「見つけるぞー」と思っていたのですが、残念ながら(?)この日は見つかりませんでした。ちなみに観察会の後少し離れたところで大量に見つかりました。さらにビニール袋に入った中国語の書かれた謎の筒(綺麗な状態)。おそらく海難事故の際に使う信号弾だとは思ったのですが、探していくと国内では流通しておらず、あまりにきれいなのでどこかの船から落ちたのでしょうか。 ![]() 海岸を歩いていると流れ着いたものだけでなく明らかにこの場所で捨てたゴミもあるわけです。某コーヒーチェーン店でついてくる豆の袋とかは持ち帰ったのか飛んで来たのか謎ですが。 逆に川から流れ着いたものもあります。小さなメノウが結構あったのですが、参加者の方から川で取れるという話を教えてもらいました。おそらくそれが流れて波に戻されたのでしょう。また、ところどころ穴の空いた大きな木の根のようなものがありましたが、これはドンゲ(イタドリ)の根っこだと教えられました。これだけ太ければそりゃ繁殖するわ、とちょっと納得しました。 ![]() こうしてみると海岸にはいろいろなものが巡り巡って還ってくるものだとわかります。 #
by dounan-museum
| 2023-03-12 12:00
| コラムリレー
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