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市立函館博物館の大矢です。 今回のアドベントカレンダーは、幕末に森村(現在の森町)・落部村(現在の八雲町落部)で起きたイギリス領事館員によるアイヌ人骨盗掘事件と、事件解決に全力を注いだ二人の箱館奉行のお話です。 五稜郭の箱館奉行所が機能し始めてから間もない1865(慶応元)年9月13日、在箱館イギリス領事館の館員であったトローン、ケミッシュ、ホワイトリの3人が、日本人小遣の千代吉を伴って、森村のアイヌ墓地で男性の人骨1体、女性の人骨2体、男性の頭骨1個を夜陰に紛れて盗掘しました。 当時は人骨や頭骨を計測する研究がヨーロッパの学壇で注目を浴びており、おそらくその研究材料にするためであったと考えられます。 森村での盗掘が大きな問題にならなかったことに味を占めたトローンらは、同年10月21日には日本人小遣の庄太郎と長太郎を伴って落部村のアイヌ墓地に出かけ、同じく夜陰に紛れて13人分の人骨を盗掘して持ち去りました。 しかしこの時に盗掘を目撃した者がいたため、アイヌのトリキサンとイタキサンは同月26日に箱館奉行所に訴え出たのです。 時の箱館奉行は小出大和守秀実。 事件を隠蔽しようとするイギリスとの度重なる折衝を経て、その結果11月22日に落部村で盗掘された13人分の人骨がアイヌのもとに返還され、森村で盗掘された人骨も小出から箱館奉行を引き継いだ杉浦兵庫頭誠の度重なる抗議によって1867(慶応3)年4月19日に返還されたのでした。 市立函館博物館には杉浦からイギリス領事ガウアに対して送った慶応三年二月付の文書「以書翰申入候、貴国人トロン外弐人、森村おゐて掘取たるアイノの頭骨等返却方之義ニ付、兼而内約之趣も有之候処、既ニ十余ケ月之久しきを経れとも于今何等之義も不被申を者如何之譯柄ニ候哉承り度、尤貴下回答之次第ニより、心得方も有之候間、否取調早々被申越候様致し度、此段申入候、謹言」が残されており、そこからは「そちらの回答によってはこちらにも考えがありますよ!」という毅然とした態度で交渉に臨んだ杉浦の姿勢が見て取れます。 結果、事件当時のイギリス領事ヴァイスは領事解任となり、当事者である3人の領事館員も各々12カ月以上の禁固の判決が下され、さらに新領事のガウアは森と落部のアイヌに謝罪するとともに総額およそ355両の慰謝料および諸経費を支払うこととなったのです。 なお、人骨の返還を受けた後に杉浦は、同年四月廿二日付の文書で「全く貴下之厚意周旋ニ而骸骨類不残取戻し相成復葬之期を得、今日落着之挙におよひし段予におゐて満足せり、右遺骨は森村役人共呼出速に渡方取計ひ土人共之心意を安んし候様可致候」として、当然の対応であるとはいえイギリス側の尽力に対してきちんと評価し、被害者であるアイヌの心情にも配慮するなど、その高潔な人間性も垣間見ることができます。 1858(安政5)年に締結した修好通商条約により日本人が泣き寝入りすることの多かったこの時代において、二人の箱館奉行の真摯な姿勢は、歴史上特筆すべきものといえるでしょう。 参考文献 植木哲也2008『学問の暴力』春風社 大塚武松1967『幕末外交史の研究 新訂増補版』宝文館 保科智治2000「「旧イギリス領事館関係資料」の紹介」『市立函館博物館研究紀要』10 市立函館博物館
by dounan-museum
| 2013-02-26 05:00
| テーマ「幕末維新・箱館戦争」
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