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市立函館博物館の保科です。 道南ブロック博物館施設等連絡協議会「アドベントカレンダー」(テーマ:箱館戦争)21日目の原稿です。 函館が近代都市へと発展していく契機に大火という現象が大きく関わっている。 明治以降、焼失家屋100戸を超える火事が26回、1000戸を超える火事が10回、10000戸を超える火事が2回ある。 その一番最初の火事は明治2年5月11日に870戸余を焼失した「脱走火事」である。 「脱走火事」については、『函館大火史』では「弁天台場の幕軍の兵が三人、午前十一時台場に近き見晴所傍の木場に放火したので、(中略)それは徳川幕府脱走の徒が放火したが為である。」とし、弁天岬台場にいた旧幕府脱走軍が放火したことになっている。 以前平成19年度特別展でも紹介したのだが、「脱走火事」については旧幕府脱走軍のみならず、新政府軍も放火しているようである。それは江差町教育委員会所蔵の増山家文書の中の5月13日付け「村上三郎右衛門宛江幡徳三郎書翰」の中に記述されている。 全文の書き下しは図録の中に掲載したので部分を抜粋する。 この資料は、当館古文書調査講座参加者の方が解読したものである。 「 焼失之塲所 この資料から、弁天から大町辺りについては「味方」(新政府軍)が放火したと報告されている。 ちなみに亀田方面についても記述があり、これについては「薩長二藩」が放火したと報告されている。最後の部分「五稜角ノ役宅並近在 是レは賊自ラ火ヲ付ケ」については、従来から知られているところであり、この資料の他の記述についても信憑性が割と高いと思われる。 「脱走火事」が旧幕府脱走軍なのか新政府軍なのかという問題は残るが、本当の問題はどちらかということではなく、「戦争」が起きると必ずといっていいほど「放火」が行われる。 そしてそれはいつもどちらが付けたのかということだけが問題にされる。 「箱館戦争」は「戦争」である。旧幕府脱走軍の戦死者は800名余、新政府軍は300名余。 民間の死傷者数については正確な資料はない。数少ない参考資料としては、函館病院長高松凌雲の経歴をまとめた『高松凌雲翁経歴談』の中に病院で治療した人数などを記述した箇所に「九十八人 市中病者」とある。 しかし、この病院の主な治療対象者は旧幕府脱走軍の負傷兵であり、市中の人びとがそれほど多くは治療対象となっていないと思われ、新政府軍側においてもどれだけの戦争被害者を救済したかはよく分からない。 現在「箱館戦争」は観光資源であり、維新のヒーローが活躍した歴史のロマンである。 市街・市民の被害状況が大きく取り上げられては「資源」として光り輝かない。 意外と知られていないかもしれないが、戊辰戦争で旧幕府方について戦死した人物は、靖国神社に「英霊」としては祀られていない。 「英霊」として祀られることが良いことか悪いことかは別として、「箱館戦争」で資源とされる戦死した兵士はもちろん「英霊」ではない。 歴史事象に光を当て、観光資源や地域おこしに活用することに異論はない。 ただ都合の良い面ばかりをクローズアップし、都合の悪い部分を指摘する意見を封印しがちで、それでは光は歪んでしまうような気がする。 歴史に光を当てるための、地味で地道な作業は続く。
by dounan-museum
| 2013-03-03 05:00
| テーマ「幕末維新・箱館戦争」
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