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森町教育委員会の高橋です。 「アドベントカレンダー」(テーマ:箱館戦争)4日目は北海道森町にある鷲ノ木の地について紹介します。 鷲ノ木は1868年(明治元年)に榎本武揚ら率いる旧幕府脱走軍が蝦夷地に上陸した場所として名が知られています。 後背の山から上陸地近辺に流れ込む桂川の河口付近に「旧幕軍 榎本武揚 土方歳三 之鷲ノ木上陸地」と記された碑があります。この場所に立つと目前にそびえる駒ヶ岳をはじめ対岸の山並みや噴火湾が一望できます。現在の浜辺は狭く、岩浜や砂浜が続く先に漁港が整備され、沿岸には民家が立ち並びます。 ![]() かつてここには蝦夷地開拓という大きな志をもった侍達の姿がありました。 榎本武揚や土方歳三に率いられ上陸した人数は2千或いは3千人以上とされています。 当時の鷲ノ木村は、ここから繰り広げられた箱館戦争までの負傷者や病人たちを休ませたり、戦いで亡くなった人々を手厚く葬っていたとされています。 鷲ノ木村の端に霊鷲院という浄土宗のお寺があった辺りは、鷲ノ木上陸に始まる箱館戦争の歴史を伝える場所として、現在は公園に整備されています。国道5号より海側、鷲ノ木神社に隣接して鷲ノ木史跡公園があります。 ![]() 鷲ノ木の名が歴史に登場するのはこれより古く、18世紀の資料に見ることができます。 当時鷲ノ木村は近隣の村の中で最も大きかったことやアイヌが居住していたことなどが見受けられます。一説には1601年(慶長6年)頃から和人が定住しており、当時は近くの桂の大樹に鷲の巣があったことから「鷲ノ巣」と呼び、その巣が壊れて大樹だけになり「鷲ノ木」になったと言われています。 それ以前はアイヌ語で「ユープト(温泉の河口)」や「ポロナイ(大きな河)」と呼ばれ、「ユープト」は桂川の西岸に噴火湾に突き出た「湯ノ崎」と呼ばれる場所が現在もあり、この付近の海辺から温泉が湧き出ていたことに由来するようです。「ポロナイ」は桂川に由来していたと思われます。 ![]() 鷲ノ木の歴史はまだまだ古く、文字の無い時代にもさかのぼります。 鷲ノ木史跡公園一帯は鷲ノ木1遺跡という縄文時代中・後期(約4,500~4,000年前)の遺跡です。当時の土器や石器等が多数出土しています。 ![]() 遺跡の西側を流れる桂川を約1km上った所には縄文時代後期(約4,000年前)の鷲ノ木遺跡があります。鷲ノ木遺跡は北海道内最大の直径約37mの環状列石(ストーンサークル)が造られ、当時の暮らしに欠かせない祭や儀式が行われた場所と考えられています。 桂川は河口付近を中心にして環状列石を造る石の採取場所とされるなど、この周辺の土地や自然を利用して、縄文人達が暮らしていました。 ![]() わずかな資料からでも鷲ノ木に長い歴史があることがわかります。 この地は風光明媚な景観ともあいまって、歴史の舞台として人をひきつける何かがあるようです。歴史や当時の人物に興味を抱き鷲ノ木の地を訪れる人は今も後を絶ちません。
by dounan-museum
| 2013-02-14 00:01
| テーマ「幕末維新・箱館戦争」
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