|
カテゴリ
全体 コラムリレー 市立函館博物館 函館市縄文文化交流センター 北海道立函館美術館 函館市北方民族資料館 函館市文学館 五稜郭タワー 函館高田屋嘉兵衛資料館 土方・啄木浪漫館 北海道坂本竜馬記念館 北斗市郷土資料館 松前町郷土資料館 松前藩屋敷 知内町郷土資料館 七飯町歴史館 森町教育委員会 八雲町郷土資料館 福島町教育委員会 江差町郷土資料館 上ノ国町教育委員会 厚沢部町郷土資料館 乙部町公民館郷土資料室 奥尻町教育委員会 大成郷土館 ピリカ旧石器文化館 テーマ「道南の考古学」 テーマ「道南の自然」 テーマ「道南の農業開発の歴史」 テーマ「松浦武四郎が見た江戸時代の道南」 テーマ「道南の美術を知る」 テーマ「幕末維新・箱館戦争」 テーマ「道南のアイヌ」 事務局 コラムリレー 未分類 お気に入りブログ
リンク
以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
最新の記事
記事ランキング
画像一覧
|
五稜郭タワーの木村です。 五稜郭は皆様ご存知のとおり、北海道で唯一の「特別史跡」であり、市民にとっては貴重な「緑地」「都市公園」です。しかし同時に、函館の重要な「観光資源」であるとの認識が、市民や地域の方々に定着しているものと思われます。さて、それでは、五稜郭が「観光資源」として考えられるようになったのはいつからでしょうか。 箱館戦争終結後の五稜郭の歴史を振り返ると、戦争直後から開始された、中川嘉兵衛による、「函館氷」の採氷事業や、陸軍移管後の函館要塞砲兵大隊の配置など、五稜郭そのものの価値に着目した利用は為されていません。その後、函館区長からの請願により五稜郭の無償貸与が大正2年(1913)に認可され「五稜郭公園」としての歴史が始まります。その際の売店出願者が二十余人との人気振りですが、これも五稜郭の活用という点では、市街地の中の「緑地」としての利用について着目したものです。 ■片上楽天と箱館戦争 そんな中にあって、五稜郭の歴史性に注目した最初の人物が片上楽天です。これには、彼の経歴が大きく影響していると思われますが、彼の著した『五稜郭史』によりますと、伊予松山藩の出身で、幼名は良之助。 同藩の洋式軍隊編成に際して「喇叭手」となり、慶応2年(1866)の「第二次長州征討」に従軍するも幕府軍は大敗。慶応4年/明治元年(1868)、遠縁の儒学者の「小父」に従って上京。折しも、榎本武揚の旧幕府艦隊の江戸湾脱走計画を聞いて艦隊に加わり蝦夷地に渡ったそうです。しかし、品川出航時の混乱で、同行するはずの「小父」の儒学者とははぐれてしまいました。「当時齢正に十二歳」(『五稜郭史』)とありますから、満年齢では11歳の少年です。 その後、五稜郭を占拠した旧幕府脱走軍の中での、この11歳の片上少年がどういう立場にあったか、蝦夷地に渡った後は従軍していなかったのか、私の不勉強でわかりませんが、『五稜郭史』の内容からは、彼の徳川幕府に対する思いを読み取ることができます。 ![]() この思いは、大正3年(1914)から大正7年(1918)にかけて実施した、五稜郭内に埋葬された戦死者の発掘調査による氏名の特定という行いに現れています。これにより、明治2年(1869)5月12日の新政府軍々艦「甲鉄」による艦砲射撃で亡くなった将兵を特定した他、伊庭八郎、春日左衛門の埋葬も確認したそうです。 ■「懐旧館」の設立 大正6年(1917)には、五稜郭公園の初代看守(管理人)である北島勇之進らと協力して、現「兵糧庫」の建物を利用して「懐旧館」という展示施設を開館しました。 ここでは人形を使って箱館戦争を紹介する、現在でいうジオラマ展示が為されていたようです。同館が販売していた絵葉書にジオラマの各情景が紹介されていますが、結構迫力があるというか鬼気迫るものです。「第一場 開陽艦長室ノ激論」から「第七場 江戸火消小頭藤吉ノ義憤」等があったようです。 ![]() ![]() ![]() ![]() 楽天の五稜郭に対する思いは『五稜郭史』の「自序」に現れています。 「五稜郭はこんな所かと遠方近地人(おちこちびと)の訪ね来て『ナーンダ只濠と土塁許り』と失望の色を呈する者の多きぞ笑止。ドンチャン、ブカブカの囃子賑やかなるを歓ぶ俗物は去って東都の浅草に行け。尚 ほ飽かずば遠く浪速の千日前に遊べ・・・五稜郭は然る俗境(ぞくち)には非ずして・・・五稜郭の由来と箱館戦争に関し、時の政府が人心の動揺を慮り、幕軍の真意を世に伝へしめざりし為、今日迄史上に顕はれざる史実を語らん哉。」 少々長い引用ですが、五稜郭は東京の浅草や大阪の千日前のような俗なところ(失礼!)ではないのだという強い自負とともに、旧幕府脱走軍将兵の真意と、新政府によって隠されていた「史実」を伝えたいとの、強烈な佐幕の思いです。 根底には、徳川幕府に対する思い、「朝敵」の汚名を着せられ、亡くなった人々の慰霊という、幕末・維新の動乱を目の当たりにした同時代人としての思いからであることは間違いなく、この意味では、現代の目で見れば、「観光」とは一寸違うのかな?とも思わないでもありません。しかし、函館の観光が人々の生活や歴史に根ざした「人文観光」が中心である以上、我々も、楽天の思いを大切にし、受け継いでいく必要があると思い、片上楽天を、五稜郭・人文観光の先駆けと考えたいと思います。 観光地としてアピールする以前に、そこで何があったのか、どんな思いが籠められていたのかを、我々がきちんと理解することは、観光に従事する者として肝に銘じなければなりません。 ![]() 何はともあれ、展望台から五稜郭をご覧下さい。特に冬期間は郭内外の木々が葉を落して「公園」というより「特別史跡」としての重厚さが一層際立ちます。五稜郭の眺望は冬がお奨めです。
by dounan-museum
| 2013-03-01 08:30
| テーマ「幕末維新・箱館戦争」
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||