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五稜郭タワーの木村です。 さて、下の写真は、五稜郭タワー展望台の展示物である「メモリアルポール」という16景からなるジオラマのひとつ、「開港場での交流」です。場面の設定は、日米和親条約の発効により、安政2年(1855)3月1日をもって開港場となった箱館の街頭での外国人船員の様子の再現で、平尾魯遷の『洋夷茗話』や『ペリー艦隊日本遠征記』等の記述を参考にしています。 この場面のテーマは以下の3つ。 ① 「彼等市街往反するに酒を携へるもあり・・・此酒を飲に杯と云ものはなく徳利の口を 己か口にさし入れ一口呑んで次の者へまわし・・・」 ② 「木魚をひとつづつ買取り、みなみな打叩いて興しける・・・木魚を叩き獅子舞の真似する者もあり、叩いて踊るものもあり・・・」 ③ 「彼等茄子胡瓜を生にて食ひ歩行しものを視しか後に聞くは大かたはみな生のままにて食ひよしなり」 ということで、③の外国人船員が店先でキュウリをかじっている場面も再現することになったのですが、その店先の品揃え、商品としての野菜について何を再現するのかが問題となり、当時の日本、特に開港当時の箱館近郊で栽培されていた野菜でなければならないということになりました。 外国の船乗りの男に齧らせるのは、平尾魯遷の観察力を信じてキュウリかナスビにします。店頭の野菜については『洋夷茗話』の記述に「米、麦、大麦、豆、サツマイモ」があるのは確認しましたが、縮尺25分の1の模型にした場合、野菜のスケールモデルとして種類が判別しづらい。そこで、開港の頃に著された他の史料類をひっくり返して、野菜に関する記述を探しました。 ペリー艦隊が箱館へ来航した際の松前藩の記録である『亜国来使記』には、松前藩からペリー艦隊へ差し入れた品物の中に「せり、みつ葉、野ひる、にら、ねぎ、あさつき、ごぼう、串柿、栗」を見つけましたので、当時栽培(自生?)されていることは解りましたが、模型のインパクトとしてはどうも今ひとつ。さらに『松前蝦夷記』には、「亀田村は畑多き所故、・・・粟、稗、大豆、牛蒡、大根、瓜、並に菜類総て畑物土地に出来申候」の記述があります。また昭和62年の神山開村三百年祭実行委員会発行の『神山三00年誌』には「各村聞取書』という史料があり、「粟、稗及び大豆、人参、蕪菁ノ類ヲ播収」するとありました。さらに、松浦武四郎により、箱館近郊の鍛冶村から「日々箱館へ薪並野菜を馬に負せて売り来るを渡世とす」と記されていることから、自家用ばかりでなく商品作物として栽培されていたようです。 当然ですが、いずれの記述も、雑穀も含めて似たり寄ったりの内容。現在、私たちにとってお馴染みの、見栄えのする多くの野菜は、明治以降、海外から移入、改良されたものの方が多いのでしょう。これらの作物の種類から、当時の道南の人々が寒冷な気候の中、畑作に取組んだ姿が偲ばれます。 というわけで、このジオラマには野菜の模型として「ネギ、ごぼう、大根、キュウリ、かぼちゃ」等を再現しました。しかし、完成してまってから気が付いたのが、迂闊にも、野菜の「旬」の時期の検討を失念していたことです。ハウス栽培の野菜に慣れた身にとっては、これらの野菜が同時に店頭に並ぶことができる時期までは考えが及ばず、冬が旬のネギと夏野菜のきゅうりを同時に並べてしまった、「時代考証」ならぬ野菜の「旬考証」での失敗を告白します。
by dounan-museum
| 2013-09-29 05:30
| テーマ「道南の農業開発の歴史」
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