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北斗市郷土資料館の佐々木です。 今回は、北斗市の養蚕の歴史についてご紹介します。 秋の夜長にぜひご一読ください。 維新前の北斗市の養蚕業と機織 北斗市の養蚕の始まりは道内では早く、前幕領期の享和年間(1801~1804)には既に始まっていました。箱館奉行のもとで大野平野の新田開墾・土木工事といった開拓事業に当たった石坂武兵衛という人物の母が機織りの技術に優れていました。箱館奉行は七重村、大野村、一ノ渡村などで養蚕を試み、彼女に機織りの技術を付近の百姓に教えさせようと計画しましたが、これは永続きしませんでした。 時を経て、安政年間(1854〜1859)には幕府は桑樹を植栽し、機織場を設け、繭を買い上げるなど種々施設を計画して蚕業の奨励に努めました。『新北海道史 第二巻 通説一』には「濁川、文月、一本木、中郷の四村での出願して官金を借り、蚕室を建築しこの業に励んだ」とも記されています。 大野養蚕場の設置 前述の経緯から養蚕は北海道においても官の奨励を受けた在来産業の一つであったため、開拓使も開庁早々の明治3年(1870)函館地方で盛んに養蚕を奨励し、民間の収繭を買い上げました。同年7月には亀田郡に養蚕世話役を置き、10月には桑樹栽培・養蚕勧誘のため委員を各村に巡回させ、また桑樹栽培に適する郡村に資金を支給し栽培を助けるなど種々の施策を講じます。 こうして明治4年3月、札幌郡丘珠村に養蚕室を、亀田郡大野村におよそ33haの養蚕所を設け、大野村では岩鼻県(群馬県)より教師3名を雇い入れます。明治4年福島県より蚕卵紙3万枚を購入し、管内に売り下げ、また繭を買い上げ、種紙の製法を教授し、種紙を移出するなどの事業を行いました。 しかし事業不振のため、大野養蚕所は明治6年冬に中止、民間の養蚕を奨励し同7年中に少女3名を富岡製糸場へ蚕事伝習のため送りました。丘珠村の養蚕室も明治7年には廃止され、少女3名を富岡製糸工場へ派遣するなどして養蚕事業を継続しました。翌8年に、札幌の浜益通に群馬県鳥村の養蚕室を模した蚕室を建て、30名の移民や20名の屯田兵家族らを養蚕に従事させますが、この場所こそが現在札幌で桑園と呼ばれているところであり、その名とところどころに残されている桑の木が往時を偲ばせます。 ![]() 黒田清隆揮毫の大野養蚕場扁額 ![]() 大野養蚕場職員 ![]() 大野養蚕場養蚕室 尾張徳川農場への払い下げ 大野養蚕場は明治8年、七重勧業試験場の属地として開設され継続されたが、明治15年2月に開拓使廃止後農商務省や北海道庁の管理を経て、同19年8月、3箇年の期限を以て華族徳川義礼(よしあきら)に無料貸付され、同21年11月、養蚕継続を条件に土地約250町および建物器具を払い下げました。 以後、義礼は事業を継続したが採算が合わず、同24、5年ごろついに養蚕事業を廃し、桑園その他の耕地は耕地として小作人に貸付し、その他は植林するなど山林として経営しました。なお、生産された絹糸は「蝦夷の花」と名付けられ、関東方面に出荷されました。 ![]() 蝦夷の花包装紙 このような状況の中で大野に於ける養蚕は定着せず、戸数の増減も著しく、大正8年は2戸、同10年10戸、昭和3年6戸、同8年2戸、同10年9戸、同11年5戸と記録されているがその後の記録は見当たりません。 ![]() 開拓使勧業試験場属地大野村養蚕場全図 ※第四大區中央の方形と道は、現在もある観音山の三十三観音とそこに通じる道であろう 現在 かつての養蚕場の土地には昭和16年(1941)に北海道庁立大野農学校(現在の大野農業高等学校)が設置され、現在に至っています。 現在も、山形の鶴岡藩士(旧庄内藩士)である65名が、明治8年5月から9月下旬までかかって築造した土塁が残されており、開拓使時代の桑園跡として名残をとどめている本道唯一のものとなっています。 ![]() 現在も残る大野養蚕場の杉並木 余談 養蚕事業との直接の関連を語ることはできませんが、北斗市旧大野地区の東北地方出身者の多い地域の一部には、現在も「オシラ様」が祀られている所があります。これは東北地方に伝わる民間信仰で、農業や養蚕・馬の神として、男女や馬の顔を彫ったり描いたりした約三十センチの一対の桑の棒をご神体として祀るものです。 終わりに かつて人々が夢見た養蚕事業は僅かに名残をとどめるのみですが、その地には様々な試みをおこなう農業高校が建ち、現在も青年達が学んでいます。彼らはどんな夢を見せてくれるのでしょうか。 農業にかける夢は終わりません。
by dounan-museum
| 2013-10-13 13:35
| テーマ「道南の農業開発の歴史」
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