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七飯町歴史館の山田です。 今回のアドベントカレンダーも私で最後になりますね。 これまで掲載された多くの投稿が、皆様の知的好奇心をくすぐったことと思います。 一方で、私においては、各地域の学芸員たちがコアな話を提供してくださった後に、一体何を書いたらいいんだ・・・というプレッシャーを感じている所です。 というわけで、明日の講座で私は道南の農業を官の立場で推進させた「七重官園」について話す予定ですから、官園に関わる投稿をするのが定石と思いますが、あえてこの場では、官園設置前の七飯町について触れておきたいと思います。 蝦夷地七重村開墾条約書 七飯町の町民憲章の序文に、「私たちは、秀峰駒ヶ岳と横津連山のふもと、豊かな水と緑に恵まれ、近代農業発祥の歴史をもつ七飯町民です。」と記載されています。 この近代農業発祥の歴史をもつという部分は、明日話をする「七重官園」の存在が大きいのですが、実は、その始まりは官園の設置より少し遡ります。 江戸末期から七飯町では御手作場という開墾地が設置され内陸部の開発が進められていました。 そんな折、箱館の開港によって蝦夷地に訪れていたプロシア(ドイツ)人のR・ガルトネルが、農地を得ようと、弟のC・ガルトネルと共に箱館奉行と交渉していました。 彼らの表向きの目的は西洋式の農法を日本人に教え、日本の産業推進に貢献すること・・・。 しかし、箱館戦争が勃発すると、その混乱に乗じる形で、五稜郭を占拠した榎本武揚らと「蝦夷地七重村開墾条約書」をかわし、300万坪という広大な土地を99カ年にわたって借りることに成功しました。 「蝦夷地七重村開墾条約書」(北海道大学付属図書館蔵) この条約は、8条38項目からなるもので、重要な部分を要約すると ①ガルトネルは西洋式の農法を広めるため12名の有志と農夫50名に対し3カ年の間教授し、その後は、新たに人選した者達に対して同様の教授をすることを繰り返す。彼らに対しては、ガルトネルが給料を支払う。 ②七重の土地300万坪を99カ年を上限に蝦夷政府より借り受け、99カ年後は政府のものとする。貸した土地については最初の10年は無税、その後は税金が発生する ③蝦夷政府は農業法を教授するガルトネルの力によって、蝦夷地全島の利になることを望んでいる。しかし、ガルトネルの開拓において外国人の助力を擁する場合はプロシア(ドイツ)人に限る といったところでしょうか・・・。 近代農業発祥の地ななえ 条約を結んだガルトネルは、明治2年からプラウやハローといった西洋農器械を持ち込み開墾事業を始めます。 七重村で本格的な近代農業(西洋式農法)を農夫に伝授し、リンゴやブドウといった西洋果樹や野菜の栽培に乗り出します。 箱館開港後、箱館を中心に洋食の浸透が進み、西洋野菜を栽培したといった話を聞くことがありますが、公式文書に記載され、西洋式の農器械を用いて栽培し、それに日本人が携わっているという点から考えると、今のところ日本に初めて近代農業(西洋式農法)を広めたのは、このR・ガルトネルだろうと私は考えておりますし、この歴史こそ、先に話した七飯町町民憲章に謳われた近代農業発祥の歴史を持つという所以となると思っております。 ところで、ガルトネルの農場開拓は長くは続きませんでした。 それは、明治新政府になってからこの条約が露見し、北海道、さらには日本が植民地化されるのでは・・・という懸念から、賠償金を支払う形でその土地を取り戻したからです。 ガルトネルは条約解消後、本国へ帰国。明治政府は、取り戻した土地を母体に、開拓使による農業試験場「七重官園」を設置します。 政府の形態が変わっても、日本が列強国に近づくためには,近代農業は必須だったことが伺えます。 この七重の土地に関係する一連のやり取りは「ガルトネル事件」と呼ばれ、一歩間違えれば日本という国の存続に関わる大きな問題にもなりかねないものでした。 それほど、当時の日本というのは外国の脅威にさらされていたということになります。 現在も七飯町に残るガルトネルが植栽したブナ林 おわりに 「ガルトネル事件」の詳細は、別の機会に話せればと思いますので、今回は概要にとどめておきますが、明治初年から開拓使が中心となって全国に普及をはかった近代農業(西洋式農法)は、唐突に降って湧いた話ではなく、日本が植民地化される危険性を回避した事件が背景にあったのです。 だから明治維新後、日本が急速に西洋化の道を進めたように感じるのは、多分、私の思い過ごしでしょう。 今回のアドベンドカレンダーは本日で終いとなります。 これまで、投稿された皆様、多忙の中おつかれさまでした。 明日は、ガルトネル事件後に設置された七重官園について話させていただきますので、多くの方々のご来場をお待ちしております。
by dounan-museum
| 2013-10-18 05:00
| テーマ「道南の農業開発の歴史」
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