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市立函館博物館の小林です。 このリレー投稿はテーマがフリーですので、今回は、私がいま進めている仕事のなかで、特に気になっていることを紹介します。 現在、受入の手続きをしている資料のなかに、『南茅部町史』に掲載されているものと同一の写真がありました。 それは、「臼尻・松山漁場 鮪大漁 昭和18年」と記され、臼尻漁港に鮪を水揚げした様子を写したもので、漁船の舷側に吊り下げられた鮪の頭部が印象的な写真です。 (『南茅部町史』上巻より転載) 北海道定置網発祥の地、旧南茅部町 皆さん御存知のように、旧南茅部町は天然真昆布『白口浜昆布』の産地として知られていますが、実は、北海道における定置網漁業発祥の地でもあります。 その起こりは、富山,山口・対馬・壱岐・五島に並ぶ日本三大網の一つ、三陸網を取り入れたもので、『大謀網(ダイボウアミ)』と呼ばれています。『南茅部町史』では、この経緯について以下のように記しています。 天保一〇年(一八三九)、尾札部の頭取飯田屋三代目与五左衛門と、臼尻の小川屋幸吉が相謀って……中略……与五左衛門は黒鷲岬より沖出一七〇間(三〇九㍍)に設け、幸吉は弁天島より沖出一五〇間(二七二・七㍍)に設けたのを北海道建網大謀網の始めとされている。 なお、上記の2名は、この功績によって、明治16年、東京上野で開催された第一回水産博覧会において、北海道漁業功労者12名の中に選ばれています。 謎の多い近代の定置網漁 このように、鮪の建網として導入された大謀網は、三陸・下北・津軽海峡を経て渡島東部沿岸の鮪の大漁によって明治末には設置箇所も倍増し、最も近い時期では昭和10年代にも地域の近海では大鮪の回遊が続いたと記されています。 しかし、日中戦争から第二次世界大戦へと戦況・世情がめまぐるしく変化することもあってか、現在では、この時期の鮪大漁については、地域の古老の談による以外に、余り多くの資料が残っていません。 (『南茅部町史』下巻より転載) 『南茅部町史』でも、今回転載した写真2点のほかに、下巻末の年表で、何年に何処の漁場で鮪大漁と事実のみ記載されているだけです。 現在、受入を進めている写真には、前記の写真以外にも鮪の定置網漁を写したものが数点、なかには写真の裏にメモが記載されているものもあり、手続き後、詳細な調査を進めていくことになります。 その成果は、いずれ、このブログで紹介したいと思います。
by dounan-museum
| 2013-12-02 08:38
| コラムリレー
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Comments(1)
Commented
by
さいとうかずのり
at 2013-12-13 11:08
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マグロの話ではこんなのがありますよ。
ちょうど釧路の方のマグロが衰退し、だんだん南に分布が戻って行った時代ですね。 http://www.fishexp.hro.or.jp/exp/central/report/DAYORI/dayori63/kusiro.pdf
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