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奥尻町教育委員会の稲垣森太です。 近年、全国の博物館や美術館で古写真や昔の絵葉書を用いた展覧会や企画展が多く開催されるようになっています。 かつてはあまり重要視されてこなかったこれら映像資料の価値が見直され、何気なく撮された一枚の写真であっても、時代考証の補助資料としたり、一昔前の街並みから昔話を思い出す材料とするなど、幅広い利用方法があることに気付かされます。 大正時代の青苗湾と砂丘 現在の青苗湾と砂丘 私の活動する奥尻町は日本海の離島ということもあり、常に人の出入りの多い場所です。来島者がしばらく滞在する過程で、多くの写真が撮られたことと思います。しかしそれらは持ち帰られ、島内には存在しません。 一方、島内にある写真も、度重なる天災や火災により失われてしまったものがほとんどなのです。 1932年の青苗大火、1963年の奥尻大火と全島的な水害、1983年の日本海中部地震津波、1993年の北海道南西沖地震津波などの大災害が、貴重な伝世品や古文書、思い出の写真帖などを失わせてしまったのです。 私が赴任した2011年春の時点で、教育委員会が保管する島の古写真(概ね、1993年の震災前までのもの)は、アルバムに2冊ほどでした。主に広報誌用に撮影されたもので、時代やジャンルにも偏りがありました。 そこで、島を踏査する過程において、出会った町民たちに古写真の有無の確認と、提供の依頼をして回りました。平行して、役場内の各課が所有する写真や町史編纂資料に紛れ込んでいたものなどを集成し、写真のデジタル化を進めました。 特に重点を置いたのは、津波で失われた青苗地区の写真収集でした。被災地では家財一式流されるか、その後の火災で焼失するかで、写真の存在は皆無でした。その中で方々聞き回ったのですが、やはり思うようには作業は進展しませんでした。それでも、津波から逃れ、かつ焼け残った一角にあった家庭より昭和30年代~50年代の古写真と、災害直後~復興までの記録写真を大量に寄贈していただいたことは、あの大災害を逃れた史料群として奇跡的な出来事でした。 寄贈された古写真 昭和30年代のもの 寄贈された古写真 北海道南西沖地震関係のもの これら写真群は、早速デジタル化し、資料館での展示物や、昨夏に奥尻島津波館で行った震災20周年特別展でも活用させてもらいました。 観覧者からは総じて、懐かしむ声が聞かれ、昔話に花が咲きました。たとえ街並みが無くなったとしても、かつてそこで生きたという生活の記録や記憶というものは、個々の思い出の中で生きていて、普段は、記憶の奥底にしまわれていたものが、当時の風景を見ることで、鮮明に甦るものなのだと実感した出来事でした。 展示風景 同時に、復興後の整った街並みしかしらない自分にとっては、古写真の一枚一枚が奥尻島史の1ページであり、自身の知らない歴史の空間を埋めるパーツとして、脳裏に収めていく日々でした。 今後も、これら古写真の持つ情報を基礎知識として身につけ、奥尻島の歴史の大河を掴みながら、島の過去、現代、未来について記録をとどめ、語り合っていきたいと思います。これも郷土に根ざした学芸活動の一つでしょう。 また、デジタル化した資料は、ネットワーク上のアーカイブとして整備できれば、島外の方の目にも簡単に触れることができるでしょう。簡易的で利用しやすい情報網を活かして、離島からの情報発信に役立てたいところです。
by dounan-museum
| 2014-03-17 10:47
| コラムリレー
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