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市立函館博物館の奥野です。 私は、平成26年の4月から市立函館博物館に勤務となり、函館公園内の博物館に通うことになりましたが、そのなかで、ふと考えさせられたことがありました。その体験をご紹介したいと思います。 ■ 函館公園に思う 市電(路面電車)の青柳町電停を降りると、谷地頭方面に下る線路の向こうに函館山山麓に建つ家々が立ち並ぶ、いかにも「函館らしい」景色が出迎えてくれます。 そして、向きを変えて函館公園へ。坂を登っていくと、ひときわ大きく広がる函館山が否が応にも目に入ってきます。 「ん、どこかで見たな」と直ぐに感じました。 博物館では、美術や歴史分野を担当していますので、まず思い浮かぶのが、「函館公園全図」です。函館ではよく使われる絵図の一つですので、ご存じの方も多いかも知れません。 この頃に発行された絵地図らしく、鳥瞰図で、描かれている中味は、大きくデフォルメされています。函館公園の開園は1879年(明治12)ですので、この絵図は、開園数年後の公園を紹介するために描かれたものといえます。 このデフォルメは、発行者にとっては、伝えたい情報をよりわかりやすく伝えるための手段であり、逆に言えば、書かれた内容は、典型的な「見せ方」もしくは「公園の見方」が示されている、とも言えると思います。 前置きが長くなってしまいましたが、冒頭の「ふと考えさせられたこと」とは、まさにこの函館公園と函館山が一体に描かれている、ということです。今回のテーマである「自然」との関わりで言えば、もともと函館公園は函館山の自然を「借景」としている、ということです。借景とは、園外の自然を園内の背景として取り込むことで、よりダイナミックな風景を演出する造園技法の一つです。 函館公園入口に入るとまず、目に入る函館山の大きさに圧倒される、という体験は、まさに計算されたもであり、見せたかった風景だった、ということです。 近代の公園創設自体が、西欧文化を取り入れる「近代化」の賜であり、函館公園も例外ではありません。在駐イギリス領事ユースデンの勧めによるもので、園内に博物場などの西欧式の文化が導入されたため、西欧風近代化のなかでの函館公園を意識しがちです。 しかし、函館公園は基本的に和風庭園の伝統のなかで造築された公園で、巧みに配置された池、築山、石造物がそのことを思い出させてくれますし、何より、公園風景にはダイナミックな自然が取り入れられていたのです。 ■ 「自然」との距離 この体験のなかで、明治の絵図が見せた「風景」と私の見る「風景」のギャップも感じました。 函館公園の景色を思い浮かべてください。 どのような景色が浮かんできたでしょうか?。私の思い浮かべる景色には、函館山は入っていませんでした。噴水を中心にした広場とせいぜいその周辺の風景しか頭には浮かんできませんでした。皆さんはいかがでしたか。 教育や生活環境、時代背景によって、個人の思想やものの見方も形成されていきます。もちろん個人差も大きいのですが、時代に応じてある程度の傾向はある、と考えています。 現代は歩くことすら少なくなっていますので、まちの小さな自然にも気がつきにくい時代だと思います。そして、そういった自然との距離感は私たちの風景を見る目にも影響を与えているのではないか……。 明治の人の見た函館公園と、私の見た函館公園は違っていて、そこには当然、自然との距離や自然に対する考え方が色濃く反映されている、ということを考えてしまいました。 ■ さらに考えてみる では、ほかの時代はどうだったのか?。もう1枚、少し時代が後の地図を見てみましょう。 先ほどの絵図とは打って変わって、現在の公園案内板との折衷のような描き方になっています。借景であるはずの函館山の姿はなく、その一方で公園左側には谷地頭の浅田屋、柳川亭、勝田温泉、函館ビール会社などが見えます。 この図では、もはや巧みに自然を取り入れた景色はメインではなく、地図としての実用性と娯楽の場としての公園と谷地頭が紹介されている、ということだと思います。 ここで忘れてはならない、絵図の作成上の大きな条件の違いにも気づきます。「函館公園全図」と「函館公園真景」の間にある違い、それは函館山への要塞の設置です。 要塞設置にともなって、1898年(明治31)年には、函館山周辺の測量や模写、撮影など行う場合、事前の許可が必要となり、翌年には入山自体も禁止されてしまいます。 従来、函館山は、生活に密接に関係した山であり、住民にとっては馴れ親しんだ山でしたが、以後地図からも消されていきます。もちろん、人びとが見る景色からは消えることはありませんでしが、より遠い存在になっていったことは想像できます。 函館山は皮肉にも要塞地帯として乱開発を逃れたため、戦後開放されると「自然の宝庫」として、再び市民の憩いの場として親しまれるようになりました。 しかし、その「自然」自体に?が付くことは、このアドベントカレンダー16日目の当館の保科学芸員が触れている通りだと思います。 人にとっての「自然」とは、当然、人を中心としたもので、かなり恣意的なものだと思います。 「自然」が変わったのか、私たちの自然への視点が変わったのか、1つの風景をじっくり眺めてみても、興味が尽きません。
by dounan-museum
| 2015-02-10 21:50
| テーマ「道南の自然」
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