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八雲町郷土資料館の柴田です。 建築家の田上義也について、伝記などを参考に紹介します。 田上義也は、世界的建築家フランク・ロイド・ライトに師事し、帝国ホテルの建築に携わっています。帝国ホテル建築後、関東大震災で廃墟と化した東京で、自らの生きる道を模索している時、下宿で親しく話してくれた有島武郎が経営する有島農場を訪れることを思いつき、大正12年に東京をあとにすることになります。北海道に向かう夜行列車の中で、偶然ジョン・バチェラーと出会い、北海道での第1作目の設計が、バチェラー学園となったそうです。 その後多くの建築を行う中で、昭和11年に帝国産金株式会社の北の王鉱山事務所の建築に携わったのがきっかけで、昭和19年に帝国産金の石川博資社長に、落部村(現在の八雲町落部)に作る帝産航空の工場の設計と工場長になることを依頼されることになります。 当時、国内ではジュラルミンが欠乏しており、たまたま捕獲したソ連機が木製であったこともあり、木製飛行機の材料となるベニヤ単板を作る必要性があったためです。 田上は、戦況が切迫し建築の仕事もないことから依頼を引き受け、落部工場、同事務所棟、従業員宿舎の設計を行うと共に、取締役工場長に就任することになります。 ![]() 「帝産航空落部工場」 昭和20年に作家の伊藤整の一家が、妻の実家がある落部の隣村、野田生に疎開していたこともあり、伊藤は企画課長に迎えられます。終戦後に、工場長室で終戦処理について打ちあわせていた田上と伊藤のもとに、アメリカ進駐軍の士官が現れ、工場や倉庫を捜索し、青年団の模擬用木銃が発見され、始末書を書かされます。士官は、日本の歴史や神と天皇はどちらが偉いのか、宗教はいくつあるのかなどの難問を連発し、田上のスラングな英語と伊藤のレギュラーな英語をミックスして冷や汗をかきながら答えたと言うエピソードが残されています。更科源蔵の「疎開日記」によると、終戦後、帝産航空の工場事務所で、工員達の将来を考えて農業と工業の一体化した村づくりについて、更科、田上、伊藤の3人で本気で夜中まで話し込んだことが書かれています。 田上は、戦後ベストセラー作家として活躍する伊藤整に対して、落部時代は「一体工場で何をしていたのか、戦争の寸暇を惜しんで「人間の愛」について、ローレンスや、その他の作品を作っていたのであろう」と書いていますが、伊藤は当時の心境を「今の帝産工場でも田上氏は私を特別扱いにしてはくれているが、でもやっぱり、同僚への気兼ねや、田上氏への義理のため、勤務中は全神経を使い、あとの時間の自分が空っぽになりがちである。精神上の自立性が失われるところに文学製作の可能性は無いように思われる」と当時の日記に書き残しています。 帝産航空の落部工場は、取り壊されて現在は残っておりません。 その後、昭和36年に落成した八雲町庁舎は、田上義也の設計による建物ですが、増改築を行った結果、建設当時の面影は残しておりません。 ![]() 「増改築前の八雲町庁舎」 また、昭和40年に落成した八雲町公民館が、田上義也による設計の建物として唯一残っています。 ![]() 「八雲町公民館新築配景図」 ![]() 「現在の八雲町公民館」 田上が設計した代表的な建物には、旧北一条教会(現存しない)、旧高田邸や坂牛邸(小樽市歴史的建造物指定)などがあります。道南では現存している建物としては、昭和3年建てられた佐田作郎邸、昭和39年建てられたカトリック少年の家などがあります。
by dounan-museum
| 2015-09-16 08:00
| テーマ「道南の美術を知る」
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