カテゴリ
全体 コラムリレー 市立函館博物館 函館市縄文文化交流センター 北海道立函館美術館 函館市北方民族資料館 函館市文学館 五稜郭タワー 函館高田屋嘉兵衛資料館 土方・啄木浪漫館 北海道坂本竜馬記念館 北斗市郷土資料館 松前町郷土資料館 松前藩屋敷 知内町郷土資料館 七飯町歴史館 森町教育委員会 八雲町郷土資料館 福島町教育委員会 江差町郷土資料館 上ノ国町教育委員会 厚沢部町郷土資料館 乙部町公民館郷土資料室 奥尻町教育委員会 大成郷土館 ピリカ旧石器文化館 テーマ「道南の考古学」 テーマ「道南の自然」 テーマ「道南の農業開発の歴史」 テーマ「松浦武四郎が見た江戸時代の道南」 テーマ「道南の美術を知る」 テーマ「幕末維新・箱館戦争」 テーマ「道南のアイヌ」 事務局 未分類 お気に入りブログ
リンク
以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
最新の記事
記事ランキング
画像一覧
|
五稜郭タワーの木村です。 浮世絵の一ジャンルである錦絵。極彩色で美麗な多色刷りの版画は、幕末から明治にかけて全盛となり、純粋な美術というよりは事件や出来事など、社会を切り取るジャーナリズムのメディアとしての存在です。洋風建築や洋装の風俗など文明開化の諸相を描いた「開化絵」、西南戦争や日清・日露戦争を題材とした「戦争絵」などがありますが、多くは誇張や脚色、絵師の想像や伝聞に基づくなど、客観性・中立性を求められてはいないものでしょう。 箱館戦争も題材として描かれていますが、お約束のとおり誇張・想像に満ちており、さらには人名などに誤字も多く、「間違っている!」と指摘されることも間々あります。 松月保誠(早川松山 1850~1889)が描いた「箱館五凌閣之降伏」は、人物の名前なども記されていることから「つっこみどころ」が満載です。三日月が照らす夜の港を背景にして、新政府軍の軍門に降る旧幕府脱走軍の榎本武揚らを描いていますが、まず登場人物が問題。5月18日の降伏の時点で既に戦死しているはずの「春日左衛門」や「土方年(歳)三」が堂々と登場。副総裁の松平太郎は「海軍 松平太郎」とご丁寧に誤った所属まで記されています。海上には、箱館湾海戦で浮砲台として奮戦するも放火され、残骸となった古写真で有名な軍艦「回天」と、前年の冬、江差港で座礁・破壊された「開陽」が「海洋丸」として描かれています。 松月保誠 「箱館五凌閣之降伏」 新政府軍の面々はほぼ創作。特に画面の中央には西郷吉之助(隆盛)が描かれていますが、たしか西郷は、箱館にやってきたものの既に戦闘は終息しているとして上陸せず引き返したと聞いています。さらにこの絵は「御届 明治10年9月」となっています。この日付は、西南戦争で、籠城戦の末に西郷隆盛が自刃し、士族による政府に対する一連の抵抗が終結した時と一致していることから、箱館戦争の題材に託して、西郷を始めとする「武士」に対する絵師の思いや権力批判が込められているとは考えすぎでしょうか。 大蘇芳年 「函館港官兵脱兵血戦之図」 また、大蘇芳年(一魁齋芳年、月岡芳年 1839~1892)と言えば犯罪・事件などの凄惨な場面を描いた「血みどろ絵」「無惨絵」で有名。気の弱い私は、絶対見たくない作品ばかりですが、この「函館港官兵脱兵血戦之図」は、傷つき倒れる兵士も描かれた戦闘場面ですが、大人しいほうと言えるでしょう。 遠景には砲煙の向うに軍艦のマストと飛び交う砲弾、港での騎馬での白兵戦です。ただ、どう見ても地面は積雪に覆われており、函館港の間近での戦闘は明治2年の春以降ですので季節が間違っています。 同じく芳年の「諸国武者八景 函館港」には芳年得意の流血描写は一切無し。紅蓮の炎を上げる軍艦のシルエットとそれを海岸から見つめる兵士が描かれています。兵士に動きが無い分、海面と夜空を赤く染めて荒れ狂う火炎の表現が轟音まで聞こえてきそうな迫力ですが、ここの地面も雪に覆われています。箱館戦争の時期は冬と伝わっていたのでしょうか。 大蘇芳年 「諸国武者八景 函館港」 報道媒体としての正確性・迅速性に欠ける錦絵は、写真を多用する報道が隆盛となり急速に衰えていきます。現在の我々にとっては虚実取り混ぜて描かれた作品から、当時の世相や社会の様子を考える資料とする見方と、純粋に美術として鑑賞する二通りの接し方ができるのでしょう。 でも「血みどろ絵」は怖くて見られません。
by dounan-museum
| 2015-09-18 07:30
| テーマ「道南の美術を知る」
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||