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森町教育委員会の高橋です。今回は駒ヶ岳をモチーフにした森町にある作品を中心に紹介したいと思います。 1)西から見える駒ヶ岳 まずは森町公民館の2階郷土資料室です。資料室の奥のほうには漁具の露出展示があり、その背景に昭和の始め頃の漁場を彷彿させる賑わいと噴火湾、そして山頂が二つ峰の駒ヶ岳が描かれています。森町の市街地から西の方角から見える駒ヶ岳の特徴です。 ![]() この駒ヶ岳のモチーフはよく目にすることができます。例えば、幕末から明治にかけて蝦夷地の調査に訪れた松浦武四郎や目賀田守蔭等は二つ峰の駒ヶ岳を描いています。榎本武揚が鷲ノ木に上陸した様子を描く『麦叢録』や、その榎本を支援したフランス人のブリュネのスケッチにも二つ峰の駒ヶ岳が描かれます。 ![]() ここに訪れた目的は違っていても彼らの記録やメモには同じモチーフが描かれました。当時、どこでどのようにこの景色を眺め、どのような気持ちで駒ヶ岳を描いたのでしょう。 こうした美術的なものだけでなく文学や短歌・俳句などの文芸作品、身近なデザインなどにも駒ヶ岳は表現されてきました。今年は森町合併10周年にあたり、これを記念して作成されたロゴマークにも駒ヶ岳がデザインされています。 ![]() 2)北から見た駒ヶ岳 駒ヶ岳は見る場所が変わると山頂の形も変わることが知られています。森町と合併した旧砂原町にある史跡東蝦夷地南部藩陣屋跡砂原陣屋跡は駒ヶ岳の北側に位置します。この陣屋跡の入口(国道側)に「史跡 砂原南部藩屯所跡」と記された石碑があります。 ![]() この石碑の形が駒ヶ岳です。ところが噴火湾を背にして陣屋から見える駒ヶ岳と石碑の形は少し違います。石碑では山頂の右側が鋭くとがっています。陣屋から見える駒ヶ岳の山頂は割と平坦ですが、駒ヶ岳の右側の山腹に鋭く尖った峰が突き出ています。 ![]() このことは、陣屋よりもさらに北に離れて噴火湾の北岸或は噴火湾内から見ると理解できます。石碑の山頂の右部分は駒ヶ岳の山頂である剣ケ峰(標高1,131m)を示したものです。陣屋からだと山に近い麓から駒ヶ岳を見ている状態になり、手前にある砂原岳(標高1,113m)が異様に高く見え、少し奥に位置する剣ケ峰が低く見えます。 ![]() 一見すると見過ごしそうな石碑ですが、その形は北の方角から見える駒ヶ岳のイメージがあれば納得できると思います。ちなみに石碑の中段にある駒ヶ岳の台座の側面には噴火湾を思わせる波のような模様が刻まれています。 3)モニュメントと駒ヶ岳 時代は少しさかのぼり、鷲ノ木遺跡にも駒ヶ岳を対象にしたと思われるモニュメント(記念物)があります。モニュメントは特定の人物や出来事を記念し、象徴化して作られたものであり、それを作った人でなければその真意が理解されにくいものです。鷲ノ木遺跡に残されたモニュメント、それは縄文時代後期(約4,000年前)に大小の川原石を円形に配置した大きさ約37mのストーンサークル(環状列石)です。 ストーンサークルがなぜ駒ヶ岳を対象にしているかというと、わざわざ重い石を駒ヶ岳が見えるこの場所まで運んできているということが重要です。ここよりも石を運ぶ作業が容易な場所も周辺にはありますが、そこは低い段丘になるので駒ヶ岳が見えなくなります。さらに、駒ヶ岳がひときわ印象的な姿を見せる場所ということがあげられます。 ![]() その姿は、秋分を過ぎて冬に向かうちょうどこれからの時期の明け方に見ることができます。これから日の出は駒ヶ岳山頂の左(北)から上がってきて徐々に右(南)へと移動し、山頂に向かっていきます。山頂から日が登るときは立冬の頃にあたり、初冠雪が見られます。その時の駒ヶ岳とストーンサークルは非常に神々しく、儀礼や祭の演出に効果的なように思えます。ストーンサークルは駒ヶ岳が見える場所を選び構築されていると考えられます。 ![]() 最後に駒ヶ岳山頂付近のストーンサークル(?)です。いつごろ何のために作られたか定かではありませんが、駒ヶ岳を登りこの場所に辿りついた方々が作っていったものでしょう。 ![]() ここで森町の範囲を超えてしまいますが、隣の七飯町の流山に駒ヶ岳を意識し石を材料にした彫刻家流政之さんによる現代美術「ストーンクレージー」があります。この場所は駒ヶ岳を挟んで、鷲ノ木遺跡の反対側にありますが、鷲ノ木遺跡の発見よりも以前に制作されており、何か感じるものがあったということです(長沼 孝2007「森町鷲ノ木遺跡の保存と史跡指定」『北海道考古学』第43輯、12pを参考)。 異なる時代や場所において、駒ヶ岳と石を材料にした構築物という組み合わせは果たして偶然の一致なのでしょうか。 4)おわりに 2013年に世界文化遺産に登録された「富士山 -信仰の対象と芸術の源泉」は、富士山を対象に育まれた信仰や芸術とその世界的な影響が評価されたということです。日本一の山であり日本の象徴とも言える富士山は有名ですが、そうした考え方や枠組みのない頃から、各地域毎に日々の暮らしの中で身近な山、印象的な山、いわゆる地元の山に対し特別な意識が形成され、多くの芸術活動が育くまれてきたようです。
by dounan-museum
| 2015-09-26 23:45
| テーマ「道南の美術を知る」
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