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函館市縄文文化交流センターの樋口です。 エゾシカ、エゾヒグマ、エゾタヌキ。 縄文センター展示室の狩猟コーナーを覗いてみると、名前に「エゾ」がついた動物の骨が多いことに気が付きます。いずれも函館市の戸井貝塚(縄文時代後期)から出土したもので、縄文人の食生活を垣間見ることのできる貴重な資料です。 実はこうした「エゾ」という文字が名前についている動物は、サハリンやシベリアなど北海道より以北に分布しており、本州にはほとんど生息していません。 津軽海峡を横切る生物相の分布境界線(ブラキストン線) 本州とは異なった自然環境において独自の生態系が育まれてきた北海道ですが、なかでもエゾシカは、道内全域にわたって生息し、現在その数は65万頭ともいわれています。 臼尻A遺跡の発掘調査現場に顔をのぞかせた野生のシカ (函館市埋蔵文化財事業団 高橋氏撮影) 増えすぎてしまったことにより、農林業への被害や交通事故の増加など深刻な社会問題になっていますが、エゾシカは縄文人にとっても身近な動物でした。 それを裏付けるような資料が、函館市の臼尻B遺跡から出土しています。 函館市指定文化財に指定されている「シカ絵画土器」です。 「シカ絵画土器」(函館市臼尻B遺跡/縄文時代中期) シカが描かれた部分(拡大) 臼尻B遺跡がある函館市南茅部地域は、太平洋を望む渡島半島東部に位置しています。遺跡は帯状に発達した標高30~50mの海岸段丘上にあり、背後には亀田山塊が迫り、大小の河川が段丘を分断する形で噴火湾に注がれています。 こうした恵まれた自然環境が、安定した集落を築く上で大きな要因となっていたのでしょう。臼尻B遺跡をはじめ、臼尻地区には縄文時代早・中・後期の遺跡が密集しています。 「シカ絵画土器」は、遺跡の住居跡に一括廃棄された4個体の土器の一つとして出土しました。全体の5分の1ほど残存していて、高さは47㎝、口径は38㎝程と推定される大型の深鉢になります。 「シカ」と思われる動物絵画は土器の胴部にあり、2本の線で角、頭、胴部、四肢を描いています。尻尾部分は欠損していますが、角があることから雄シカの姿と考えられます。 縄文人はどのような思いを込めて、「シカ」の姿を土器に描いたのでしょうか? 実はそのヒントは、土器に描かれている長楕円と半楕円の文様にあります。この長楕円と半楕円の文様は、シカを仕留めるための落し穴を表現しているのです。 縄文時代には、効率よく狩猟を行うために落し穴が作られていました。そして楕円形の細長い落し穴を何か所も掘った場所にシカを追い込み、落ちたところを弓矢や銛で仕留めていました。 落し穴の発掘作業状況(函館市東山A遺跡) シカは縄文人の生活に大きな恩恵をもたらしました。 捕えたシカの肉は貴重なタンパク源として食料になり、毛皮は温かな服や敷物に、そして骨や角は釣り針や銛先の材料になるなど、余すところなく利用されていたのです。 おそらく「シカ絵画土器」は、狩りの無事と成功を切に願う気持ちから製作されたのでしょう。 縄文人とシカとの関わりを今に伝える「シカ絵画土器」。 自然豊かな北海道で、人と野生動物がよりよく共生していくための手がかりもそこに隠されているのかもしれませんね。
by dounan-museum
| 2015-11-19 10:23
| コラムリレー
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