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七飯町歴史館の山田です。 コラムリレー4クール目が始まります。 これから週ごとに各学芸職員の投稿がありますので、お楽しみ下さい。 さて、今回は、当館の一角に置かれている文書類の紹介を。 元七重官園職員だった迫田喜二が残した筆記録「迫田家文書」 迫田喜二(さこたきじ、のぶじ)は、嘉永2年鹿児島に生まれた。戊辰戦争では黒田清隆の配下として上野の戦いに参加。明治5年に開拓使の役人を志願し北海道へ渡り、札幌本道(現在の国道5号)開削工事で指揮監督にあたったといわれる。工事が終わってから、開拓使七重官園に明治17年まで在勤。今回紹介する文書類は、この時に記したものである。 ![]() 迫田喜二は、明治19年に、七重官園場長だった湯地定基の推薦により日高国浦河支庁長に任命。その後は、函館監獄の初代典獄として活躍した。官職を退いた後も、その人望と行動力から七飯村村議会議員に当選するなど、七飯村の発展のために尽力した人物である。 彼の残した筆記録は、明治初期に近代農業の指導センターとして、北海道の開拓に大きな役割を果たした七重勧業試験場(七重官園)で、御雇外国人により伝習された農業技術や西洋果実の栽培法、家畜の飼養や治療法、魚種のふ化実験、加工業・製造業にいたるまで記されており、七重官園が単なる農業試験場だったわけではなく、急速に近代化を推し進めようとした明治期の日本の姿を投影した施設だったことがわかる。 そのため、「日本における近代農業発祥の地」をうたう七飯町の歴史資料として特に重要であることから、昭和59年に第1号七飯町指定文化財に指定された。 ![]() まだ私自身も、すべてを読み解いた訳ではない。しかし、230点以上からなる文書類を見ると、西洋果樹や野菜の栽培、農器械の名称だけではなく、それら生産物を原料として加工するジャムや醸造酒の作り方、チーズやバター、ハムの製造法なども書き留められていることが分かった。 そして、それらの指導にあたった御雇外国人の名が随所に見られる。例えば、札幌農学校初代教頭だったウィリアム・S・クラークや農業指導にあたったウィリアム・ブルックス、北海道酪農の父といわれるエドウィン・ダンなどである。 ![]() ![]() さらに、文書に記載された製造法をもとに当時のチーズづくりを再現し味見をしてみたこともあるが、どうやら現在のものの方が美味しく感じた。ジャムについても同様で、技術は常に進歩していることをまざまざと感じる結果となった。 ![]() 所々みられる挿図も特徴を見事にとらえ、詳細に描かれているのを見ると、迫田氏の画力は相当のもので、個人的に羨ましく思った。 ![]() 幸いに、迫田家文書はミミズが這うような文字ではなく、ほとんどが楷書で記されており、比較的読みやすい。 さすがに、本物を開いて読むことはお断りしているが、当館では複写したものを閲覧できるようにしている。 明治初期の日本が、何を学びどのように発展しようとしていたのか、迫田家文書からはその一端を知ることができるので、興味のある方はご来館いただきたい。 こういった古文書は、色々な博物館で所蔵しているものだ。 しかし、古文書自らが積極的に語りかけることはない。 それを開いた者にのみ、往時のキオクを雄弁に語る。
by dounan-museum
| 2016-08-01 00:01
| コラムリレー
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