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市立函館博物館の奥野です。 道南の多くの博物館・資料館でも縄文時代の土器や石器がずらりと展示されていますが、考古学の素人である自分の知識と想像力の不足から、なかなか縄文人の生活を身近に感じることができないのが正直なところです。 時代が古くなればなるほど、「残される手がかり」は少なくなりますので、せいぜい近世以降の文献や現代の聞取調査などに頼って、「歴史」に触れている普段からは、想像がつかない世界です。 そんな縄文時代ですが、遺物から当時を探るというアプローチとは別に、当時の地形から迫ってみるというのも、地域のなかで縄文時代を「感じる」1つの方法だと思います。 以下は、平成27年度に当館で開催していた「ひょっこりはこだてやま ―函館山は島だった?!『縄文海進』と函館山」と題したミニ企画展で展示していた函館市街の縄文海進図でご紹介していたものです。 函館山は昔、海のなかにポッカリと浮かぶ島で、砂州が発達して函館平野と陸続きになったことで現在の「陸繋島」となった、という話は何となく聞いたことがあると思います。実際に、函館山が陸続きになったのは、約5,000年前とされています。 それより前、縄文時代の函館は、まさに海に浮かぶ島でした。 海水面の上昇や陸地の沈降により、海が陸側に進入することを「海進」と呼びますが、約1万年前の縄文時代に、「縄文海進」と呼ばれる海進が始ました。約5,000~6,000年前の日本の海水面は、現在の海水面より最大で5メートル程上昇し、気温も2度程度高かったとされています。 「函館の地史」「探ろう函館の大地」には、縄文遺跡と当時の地形を示す、図が掲載されています。文献により、「海進」の様子は若干異なりますが、おおまかな当時を想像する助けにはなります。 縄文遺跡と海を表した図 ![]() ![]() もっと分かりやすい、何か良い方法はないか、と探していたところインターネット上の様々なサイトで「海進」を実現する仕組みがありました。 そのなかでも「Flood Maps」(http://flood.firetree.net/)をご紹介します。このFlood Mapsでは、世界地図のなかかで函館市を拡大して表示することもできますし、航空写真を表示することもできます。さらに、精度も問題はありますが、海水面(Sea level)を操作することで、現在の函館市でいえばどの地域が、縄文海進時代の海岸線だったのかを、一目で理解することができます。 海面を操作して5メートル、7メートル、9メートル、13メートルと徐々に上げてみる(Flood Mapsより) ![]() ![]() ![]() ![]() 先ほど紹介した文献に掲載された海進図を参考に海水面を操作すると、9メートルから13メートルの上昇で、ほぼ同じになることがわかります(縄文海進により、日本では海水面が最大5メートル程上昇したとされていますので、函館では、その後の土砂の堆積、海陸の沈降等の影響も大きかったことも伺えます)。 ともあれ、現在の地図上でいえば、函館山が島であること、市電(路面電車)の五稜郭電停付近から湯川方面の電車通り沿い、桔梗地区や函館空港が高台に位置していることが良くわかります。 函館市街地の「Flood maps」で航空写真を表示したものに、縄文遺跡を書き入れてみたものが下図になります。 ![]() 縄文遺跡は、海や森で食料を得やすく生活のしやすい、当時の海岸線から台地にかけて分布したといわれますが、函館山周辺の住吉遺跡、桔梗地区のサイベ沢遺跡、日吉遺跡や函館空港遺跡など、見事に当時の海岸線に遺跡が集中していたことが分かります。 ちなみに、縄文遺跡のある地域は、高台にあるから津波の被害を受けない、といった話を聞いたことがある方もいると思います。 実は「Flood maps」から作図した地図は、函館市津波ハザードマップ(http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2016033000090/)に酷似しています。地形の低いところが、津波被害を受ける可能性がありますので、当然と言えば当然ですが、改めて見比べると、あまりに似ているので驚きです。 ![]() 自分の反省も含めて、昔のことを考える場合、どうしても当時も同じような環境であったと誤解しがちです。 今回は「海進」という地形上の変化について考えて見ましたが、当然地形・景観が一変するほどの気候変動や地形変化に伴う、動植相の変化などが起こっていたことは想像に難くありません。 果たして、自分の住んでいる地域は縄文時代はどのような環境だったのでしょうか?。あわせて津波が来たときは、大丈夫でしょうか?。 最後に、函館市のお隣、北斗市のきじひき高原から見た函館山の景色を、ミニ企画展「ひょっこりはこだてやま」開催時にポスターに使用しました。 きじひき高原から見た函館山は、やっぱり「ひょっこり、函館山」だった!。 ![]()
by dounan-museum
| 2016-11-06 06:00
| テーマ「道南の考古学」
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