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明けましておめでとうございます。ピリカ旧石器文化館の宮本です。 左は長さ25cmの木の葉形、メノウの白色が抜群の存在感を放っています。赤い部分は節理面といい、石材の内部に走る天然の平滑な亀裂です。 いずれも両縁から整形され、先がとがる形状から「槍先形尖頭器(やりさきがたせんとうき)」という種類に属します。これは一般に柄の先に付け、獲物を捕るために使われたものと考えられており、長さは15cm以下のものがほとんどです。 しかし、この二つはその倍以上の長さがあり、また右の石器は大きさの割に厚さは1.8cmと、軽い衝撃で簡単に折れてしまう薄さです。果たしてこれらは本当に狩りの場面を想定して作られたものなのでしょうか? 1983~84年の発掘当時、これらはどちらもバラバラの状態で発見されました。右は5点が直径80cm程度の範囲から、左は7点が約3mの範囲からまとまって出土し、いずれも接合し復元されたものです(下図・北海道埋蔵文化財センター1985年『美利河1遺跡』より転載)。 また、いずれも完成品の状態からバラバラに分割されています。左の石器はメノウという非常に硬い石材で作られており、厚さが2.4cmあるため、そう簡単には折れない厚さです。それが7分割されていることからみて、非常に強い力で執拗に壊されたと考えざるを得ません。右の石器は薄いとは言え5分割という異様な折れの状況を示しており、これも意図的に壊されたとみられます。 さて、これらに見られる「異常な大きさ」と「意図的に壊す」という現象を皆さんはどのように考えますか? 考古学者によるこれまでの説明は諸説ありますが、実用品ではなく、旧石器人の社会生活や精神性を示すものであろうとする点は共通しているようです。私もその考えに賛成する者の一人ですが、それ以上の具体的な説となると推測の域を脱しません。 そこを踏み込んで考えるのがまた楽しいところでもあります。ぜひ多くの皆さんに実物をご覧頂き、このバラバラ事件の真相究明に挑んで頂きたいものです。 ※ただいまピリカ旧石器文化館は冬季休館中ですが、観覧をご希望の方は今金町教育委員会へご相談ください(Tel.0137-82-3488)。 なお、これらを含むピリカ遺跡の石器10点は1992年、はるばる海を渡り、アメリカのスミソニアン博物館で展示されました。"Ancient Japan"(古代の日本展)と題する特別展に日本の旧石器文化を代表する資料として出展されたのです。そして展示担当の学芸員から「世界で最も美しい石器」と評されたのが右の石器です。 ピリカ遺跡のある美利河地区の名はアイヌ語の「ピリカ・ベツ(美しい・川)」に由来します。アイヌの人々がピリカベツ川の何を美しいと感じ、そう名付けたのかはわかりませんが、奇しくもピリカ遺跡は世界で最も美しい石器を擁する遺跡でもあったわけです。 皆さんもぜひピリカ遺跡に立ち、ピリカベツを望む景観から当時の人々の暮らしに思いを馳せてみてほしいですね。 槍先形尖頭器が出土した発掘調査区(1983年)
by dounan-museum
| 2018-01-09 11:00
| コラムリレー
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