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市立函館博物館の保科です。 時代劇を見ていると、たまに悪い役の人が農民や長屋に住む人に対して、「ヤイヤイ、貸した金が返せねーなら、おめーんとこの娘を借金の形(カタ)に連れて行くからな、いやとはいわせねーぞ、ここに証文があるんだからな。」といったようなセリフを言っている場面があるかと思います。 たいていこの後に、娘を遊女屋に売り飛ばす旨のセリフも聞かれます。江戸時代には借金を返せないと、女の子は借金の形(カタ)にとられてしまうのか、かわいそうだな、なんて思って見ていませんでしたか。 古文書を整理していると、借金に関する資料は比較的多く見かけます。正直なところその内容をあまり詳しく見ることはありませんでした。なぜなら大部分のものは決まり文句が書かれているからです。これらの借用証文に出てくる借金の形の多くは田畑・家屋などの不動産、あるいは家財や農具、漁具・漁船・網などの動産などです。そんな思い込みがあるので、時代劇のような人が借金の形になっているという視点で借用証文を見ることはありませんでした。そのような色眼鏡で見ていたためこれまで見過ごしていたようです。 このたび古文書調査講座により、当館所蔵の「新保屋証文他」(資料番号500075)の整理が終わりました。整理の結果34件47点で、古いもので文政4年、新しいもので昭和2年までの資料がありました。「新保屋」は大野村に居住していたようで、明治になると「新栄」を名乗っているようです。また、嘉永6年に裏町(現弁天町)、明治2年には内澗町(現末広町)、明治26年には大町に土地を借りています。この資料の中にも借用証文がありました。貸し先は森村や七重村・箱館に及びます。 あったんです!その中に…!? 「娘リヱ壱人相渡可申候」(資料1) 娘を引当(抵当)に入れているのです。それも他に馬1疋も。借金は返せたのでしょうか?娘さんはどうなったのでしょうか? 基本的に借用証文が残されているということは、返せなかったのか… それとも返したが、たまたま証文だけが残ってしまったのか、今となっては分かりません。 この「新保屋」資料の中にはもう1点ありました。(資料2) この借用証文では、「家財道具不残」の他に子供3人を抵当に入れています。この子供がどのくらいの年齢かは不明です。 この2点の資料を見てから借用証文がちょっと気になり、以前に展示した資料を見直してみました。すると実はあったのです。(資料3) その当時は意識していなかったため、見落としていました。この資料では2才の子供が借金の形に入れられています。「弐才」という文字が離れた場所に書かれていることから、「弐才」という文字は後から付け加えたと思われます。墨の付け始めと終わりの違いと思われますが、抵当とする「磯船」と「倅与吉」の墨の濃さの違いに親の気持ちをなんとなく感じとることはできませんか。幼子まで借金の形に入れた「■太」さんは、またまた借金をしてしまいます。(資料4) 今度は箱館の人を、恐らく知り合いなのでしょう、保証人にしています。保証人になった人も借家住まいなので、恐らくそれほど裕福ではなかったように思われます。 前記3点は恐らく不作や不漁に苦しむ農民や漁民だと思います。次の借用証文(資料5)は、推測ですが、苗字のある人物が借りているので農民や漁民もしくは一般の町民でもないと思われます。しかし苗字帯刀を許されているものもいるので、断定はできません。銭換算で借りているところもちょっと気になります。保証人になっている濱田屋は箱館で問屋を営んでいた井口兵右衛門と思われる人物で割と大きな商人のようです。貸し主は、ペリーが箱館来航時に箱館の町名主を務めていた小島屋です。商売上の借金なのか、もしくは営業資金の調達なのか、詳細については分かりません。 最後の資料(資料6)は、豊川町や蓬莱町で貸座敷などを営んでいた人物が、元日に大金を借りている借用証文です。金利計算の関係から一月一日に借りたのでしょうか、 借り主の武蔵野は、豊川町に屋上庭園をそなえた三階建ての貸座敷を経営していました。その建物は「箱館豊川町武蔵野三階造全盛之図」(函館市中央図書館蔵)という錦絵にもなっています。この借用は、運転資金としての借り入れと思われます。貸座敷(遊女屋)という仕事柄、年末年始は物入りなのでしょうか。 貸し主の西澤は、船頭から身を起こし函館で荒物・海産物商を営み、その資金を元に後に択捉の漁場経営にも携わりました。貸金業的なことも行っており、「西澤弥兵衛」の名になっていますが、他の資料から類推すると妻が貸金業を営んでいるようです。女性が貸金業や質屋を経営している例は、明治18年発行の『北海道独案内 商工函館の魁』(函館市中央図書館蔵)などにも見られます。 江戸後期から明治初期頃の借用証文について触れてきましたが、これは古文書の中の昔話ということではなく、未来の話にもつながります。現在作成される文書が100年後にこのように紹介されるかもしれません。ただし、残されていればの話ですが…?。
(資料1) 借用申證文之事 一 金子拾六両ト銭壱貫三百六拾文 但 通用文字金 利息弐分定 右者村金之内借用申處実正明白御座候,然上ハ返済之儀者来未ノ五月中元利相揃急度返済可仕候、若万一返済成兼候ハゝ、私持馬五疋、娘リヱ壱人相渡可申候、尤引当品壱人壱疋たり共病気節合等有之候ハゝ、村役立合以本人家屋鋪相添急度らち明、貴殿江御くろ相掛ヶ申間敷候、後日為念受人加印、仍而證文如件 天保五午(年カ)十二月 市野渡村 御百性代 茂兵衛(印) 年寄 甚兵衛(印) 本人 ■ 吉(印) 大野村 孫四郎殿 (500075 新保屋証文他0015) ・右に書かれた金額は、村のお金から借りたことに間違いありません。来年の5月までに元利共に必ず返済します。もし返済できなかった場合は、私の持っている馬5頭と娘リエを渡します。娘や馬に病気などがあった場合には、村役の立ち会いのもとに家と屋敷を明け渡し必ず支払うようにし、迷惑はかけません。保証人ともども押印し証文とします。 ・子供3人も借金の形に (資料2) 借用申金子證文之事 一 金三拾両者 通用 六貫八百文 〆 同 一 金五両者 只今相渡ス 残金弐拾五両者、明戌年より未年迄拾ヶ年賦ニ而、壱ヶ年金弐 両弐歩宛相渡ス定 一 此引当 ■之丞、■太郎両人所持之家財道具不残 外ニ子供■次郎、■次郎、■蔵、 右三人 右之金子先年村方ニ而要用ニ附借用仕候処、此度皆済ニ相成可申候処右之金高拙者得心違ひニ付不納ニ相成、面目次第無之次第ニ奉存候、然ル所仲介之人ヲ以御願申上候所、早速御聞済被成下候段難有仕合ニ奉存候、尤返済之儀者右御承知被成下候通り、明戌年より未年拾ヶ年賦ニ而急度間違等有之申候節者、右引当之両人家財并子供三人立合加印罷出、無彼是急度相渡可申候、後日為念之立合加印ヺ以、金子年賦證文依而如件 嘉永弐年酉七月 本人 ■之丞(印) 同 ■太郎(印) 立合加印 砂原村 三次郎(印) 新保屋孫四郎殿 (500075 新保屋証文他0013) ・右のお金は先年に村で必要になったため借用し、すべて返済したと思っていたところ私の勘違いで返済しておらず、面目ありません。仲介者からお願いしたところ、承知いただきましてありがとうございます。返済は来年から10年間かけてします。借用金の抵当として二人の家財と子供3人を必ず渡します。保証人ともども押印し証文とします。 (資料3) 借用證文之事 一 金弐拾六両也 但し利三分 但し磯船弐艘、忰弐才与吉そろへ 右之金子わ此度不叶要用ニ付借用申處実正明白ニ御座候、然ル上者返済之義者当五月中ニ場處帰り次第ニ、元利共無間違く急度御返済可申候、若返済致兼候節者前文之通早速相渡し可申候、後日為念仍如件 亥 六月 ■■村 ■太 平三郎殿 (500076 中宮家書簡他21801)
・右のお金は要用のため借用したことは間違いありません。5月(借用日が6月なので書き間違いか?)に漁場へ帰り次第に間違いなく返済いたします。もし返済できない場合は、抵当として漁船2艘と2才の倅を差し出します。念のために証文を書いておきます。 写真3 ・借金を重ねる親? (資料4) 借用手形之事 一 金子拾両也 慥ニ受取借用申事実正明白ニ御座候、但シ利足之儀者三分ニ相定申候、御返済の儀者来ル八月中ニ元利相揃急度御勘定可申候、為後日借用証文依而如件 元治元年子七月五日 借人 ■■村 ■ 太(印) 受人 ハコタテ大工町太三の借や ■右衛門(印) ヤマニ 平三郎殿 (500076 中宮家書簡他21802) ・金10両確かに借用しました。利息は三分とします。返済は元利とも来月8月中とします。後日のために証文を書いておきます。 ・保証人が借金の肩代わり (資料5) 借用申金子之事 一 銭五拾九貫八百四拾文也 但シ来巳年より子ノ年迄八ケ年 壱ケ年ニ付七貫四百八拾文宛 右者、此度慥ニ借用申所実正也、然上ハ来巳年より子ノ年迄九月十三日切急度返金可申候、若本人相違之節ハ請人以弁金ヲ、少も損分相掛ケ申間敷候、為念請人加判、仍而如件 天保三壬辰年三月 請人 富田屋兵治(印) 本人 小■■吉(印) 小嶋屋又次郎殿 (11-971 文書) ・右の金額を確かに借用しました。来年から8年間、最終年の9月13日までに返済します。本人が返済できない場合は保証人が返済します。保証人押印の上、証文を書いておきます。 写真5 ・元日早々多額の借金申込 (資料6) 金子借用証書 一 金弐千弐百圓也 但利子之儀者、壱ケ月金拾円ニ付弐拾五銭之定也 右之金子私共要用ニ付借用仕候處確実也、然上者明治拾五年七月廿五日限り屹度元利返済可仕候、万一借用人之内他行可致候者有之候ハゝ居宅之者ヨリ返納可仕候、尚不足有之候節者家財及各自處有物不残差上貴殿江聊御迷惑相掛申間舗候、依テ連借証書如件 明治拾五年壱月一日 蓬莱町借用人 武蔵野清次郎(印) 豊川町 同 武蔵野ミチ(印) 蓬莱町 同 武蔵野ツル(印) 西澤彌兵衛殿 (14-217 西澤弥兵衛関係文書T099) ・右の金額を要用のため借用しました。明治15年7月25日までに元利ともに必ず返済します。もし借用者のうち他へいってしまう者が出た場合には残った者が必ず返済します。不足が生じた場合は、家財道具一切を引き渡し、ご迷惑をかけないようにいたします。ここに連帯借用証文を書いておきます。 写真6
by dounan-museum
| 2018-03-18 06:00
| コラムリレー
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