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「秘女於久辺志」は、蝦夷日誌附録として松浦武四郎が嘉永3年(1850)に脱稿したものです。武四郎は、弘化4年(1847)3月に江差を立ち松前から箱館に回り、5月下旬まで滞在し、松前家の事情を探り究めたとされ、同月下旬近くに南部上北郡(現青森県東側中部)に渡り、弘前・秋田・新潟と佐渡に渡って全島を探り、9月に越後の出雲崎に渡り、11月中旬には江戸に着きました。そして、松前屋敷の市川管斎の元に留まり越年したとされ、「秘女於久辺志」「佐渡日誌」「日光山余志」などを書いています。その後、嘉永3年(1850)に市川管斎の元に留まり越年しましたが、その年の2月から「蝦夷日誌」の稿を起こし、冬までに「三航蝦夷日誌」までを脱稿したとされています。 武四郎は、旅行をしている時以外、寸暇をもおしむように記録の整理と著述に専念していました。行動力もありましたが観察力も緻密で、趣味も広く何事にも興味を持ち、「手控」とした小さな横綴りの帳面にメモ書きを連ね、それを補足し浄書の完稿としました。これは、幼少のころから日記をつけていた習慣があり、その日その日のメモはその日のうちに整理することを習慣とし、これをしなければ就眠しない事にしていたとされ、これが生涯に渡って膨大な記録を残すことが出来た所以で、著書とともに正確な風景やスケッチが抜きんでています。さらに、武四郎の蝦夷地探検は、長崎で津川文作(蝶園)という名主から、北地の形勢を聞かされたことも一因であるとされています。 この「秘女於久辺志」には、福山城の地勢・松前家の系図・各藩主の略歴・蝦夷地の国政不行届・城内の詳細説明・築城候補地の意見・藩士の順列分限帳・町内の年中行事などが記されています。 このうちの「町内の年中行事」では、料理について「正月の雑煮」の特異性を挙げ、その材料として「千切大根」、「氷豆腐」、「牛蒡又は椎茸」、「切身肴又は鮭の卵」を入れ、「鴨」、「蚫(鮑)」、「海蔘(なまこ)」を入れることも有り、これは「仙台雑煮」と同じで、富豪の者は「荒巻別珍(極上)」に塩をし、すり身にして入れると記しています。 また、子供の悪しき風習として、正月15日に子供が「摺子木」のようなもので婦人の前後ろを突くことを挙げています。市中の子供が「陽形」の様に木で作り、これを「ケズリカケ」と呼び、「市中家中の女共の尻を突き」歩くとし、このようなことをさして辱ともしないので、他国から来たものの目には「余程異様に思」えると記しています。 現在も同様の囃子言葉で行われている七夕行事について記し、7月節句では市中手習師匠の家に子供等が集まり、太鼓笛を囃し立てて「七夕祭ホウイヤイヤヨ」と市中を騒ぎ回るとし、このごろは以前よりひそかになったというが、他国から来たものには費用の多さに驚き、「実に無用の事ととぞ思われ」ると記しています。 7月盂蘭盆会での姦淫行為について、「娘どももさして恥る」ことなく、これを「チヤウモチをかける」と云うとし、家中や医者の娘が客をとることを嘆いています。また、年越しの蜜柑が300文で、海老一匹金ニ朱も致すとなど、まだまだ異様な事がありますがわずらわしいので略し置く、と最後に記しています。 以上のように、武四郎は嘉永3年(1850)に松前家並びに松前藩の秘密を徹底的に暴露したため、松前藩から忌み嫌われ、江戸松前藩邸は藩士高橋潮平(波藍)が武四郎を刺殺しようと付け狙っていた(『松前町史第1巻下』P.909)とされますが、安政2年(1855)に箱館奉行雇入となり幕府役人として翌年3月に松前入りをしました。
by dounan-museum
| 2018-09-24 00:01
| テーマ「松浦武四郎が見た江戸時代の道南」
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