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七飯町歴史館の山田です。 今回のテーマは「松浦武四郎の見た江戸時代の道南」。 執筆者にとっても、資料が乏しく、かなり苦しいテーマです。 さて、七飯町には、武四郎に関係する地名などは残されていませんが、 『蝦夷日誌』を読み解いていくと、今でも地名として残る ニンニク沢~大川村~七重村~藤山村~峠下村~大沼などの記載が見られます。 大川村(現在の大中山地区)や七重村(現在の本町周辺)の暮らしぶりについては、 野菜・雑穀を栽培し、そのほか薪などを箱館へ送り、 生業としていると記されているのですが、 特筆なのは、七重村では「紫根(ムラサキ)を多く出す。」という記載です。 かつては冥加金として年に10両~15両を上納していたことや、 七重村のほかに大川・亀田・有川・大野・銭亀沢・鍛冶村でも しかし、疑問に思ったのは、「紫根」が現在でいうところの 「ムラサキ」と呼ばれる植物として考えて良いかということ。 冥加金を上納するほど多く生えていたという割に、 町内で「ムラサキ」を見にすることがなかった私は、 果たして、現在の七飯町でも、簡単に栽培できるか知りたくて、 実際に、栽培を試みてみました。 ところが、結果は、散々なものでした。 発芽率は10パーセント以下、発芽しても、開花までたどり着くことはなか。 2年にわたって挑戦しましたが、結果は同じ。 我々の無知・未熟さもあったでしょうが、 大量のムラサキを栽培できたとは考えにくく、 私は、武四郎が記載した「紫根(ムラサキ)」は、 「アイ(藍)」なのではないかと考えています。 また、別の話となりますが、 安政年間(1854~1860年)に描かれたとされる 当館所蔵の七飯町指定文化財「峠下村絵図」と対比してみることが出来ます 武四郎がこの地を訪れたのは、弘化2~4年(1845~1847)頃と考えられているので、 峠の下村の記載には、 「(中略)一条の町をなしたり。人家甚大にし、町中に一条の川有。小商人五六軒。はたごや弐三軒。余は皆農民、山稼ぎ、炭焼等也。然し漁猟の節は海辺二下りて生業をする也。村内産神社並并高札有」とあります。 絵図には、炭竃や神社や高札場(御禁札)が描かれており、 武四郎の記述と一致するものが描かれていることがわかります。
大峠(現在の大沼トンネル付近と考えられる) 描かれた炭竃 藤山村と峠下村の村堺 このように、武四郎が見た景色は、彼のスケッチなどでも見られますが、 現在開催中の企画展「文化財鑑賞のすすめ」で展示しております。 10月21日までの会期ですので、興味のある方は、ご来館頂ければ嬉しい限りです。
by dounan-museum
| 2018-09-18 17:48
| テーマ「松浦武四郎が見た江戸時代の道南」
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