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松浦武四郎は文化15年(1818)、伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松坂市小野江町)に郷士の子として生まれました。作家・画家・冒険家・博物学者・地理学者という多彩な顔を持っていたことが知られています。
そんな彼は、若くして郷里を離れ、天保4(1830)年に江戸に向かいます。その後、日本各地を巡り、見聞を広めていきました。そして、蝦夷地(当時の北海道の呼び名)に私人として3回、幕府の庸人として3回の計6回足を踏み入れて詳細な記録を採り、報告しています。後年は積極的な著作活動にうつり、刊行物は「多気志楼物」と呼ばれて一般読者によろこばれました。
武四郎の最初の蝦夷地探検は弘化2年(1845)のことで、この時に奥尻島へ来島しています。結局、来島したのはこの一度きりで、その後は『初航蝦夷日誌』、『再航蝦夷日誌』などを記し、幕府や新政府の役人を務めながら、蝦夷地(後の北海道)を詳しく紹介しました。
今回は、『再航蝦夷日誌』巻之四より、奥尻の様子を拾ってみます。
【探検の行程】 ・弘化2年(1845)第1回蝦夷地探査 28歳。 商人和賀屋孫兵衛の手代に身を変えて各地を巡る。 太田→奥尻→瀬棚→函館→森→有珠→室蘭→襟裳→釧路→厚岸→知床→根室→函館
・島内での行程 弘化2年4月17日、太田山「ヒカタトマリ」より乗船して、久遠方向(現せたな町大成区)を目指すも、やませ(東風)が強く断念。変針して奥尻島の東海岸「ヲタシュツナイ」(塩釜川、現奥尻地区)に到着。 18日、物見をしようと島の東海岸を北上し、「ツルカケ(奥尻)」、「チャシウシ(宮津)」、「フレフタトマリ(勘太浜周辺)」から西海岸へ回り、「マウサン(稲穂周辺)」、「タキノマ(滝ノ間)」、「ユワヲイ(岩生)」、「カチカス(勝間)」、「マトイシ(窓岩)」、「テラヤシキ(小寺屋敷)」、「カワルシラリ(蚊柱)」、「ホロナイ(幌内)」、「アナマ(穴間)」、「セタイツキ」、「モツタテ岩(モッ立岩)」、「カハルシトマリ」、「ヲタフル」、「エベウケヱショ」、「モシリショ(室津島)」、「アオナイ(青苗)」に到着して、ここで一泊。
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19日、青苗を立って東海岸を北上し、「イタタウシナイ(初松前周辺)」、「ヲヤコチ(松江周辺)」、「ホロタレヱショ」、「チフタナイ」、「ヲウコチナイ」、「ウンコウタ(恩顧浜)」、「アカイシ(赤石)」、「シルコウヘツ(武士川周辺)」、「ウトカニウシナイ(谷地周辺)」と歩き、「ツルカケ」(釣懸=奥尻の本村)に戻ったようです。その後、奥尻島を立った日は不明です。
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【武四郎が見聞きしたもの】 ・海産物 鯡(ニシン)、数子(カズノコ)、海参(イリコ)、蚫(アワビ)、油コ(アブラコ、アイナメ)、𩸽(ホッケ)、鱒(マス)、鱈(タラ)、帆立貝(ホタテガイ)、紫海苔(ムラサキノリ=アサクサノリ)、鹿角菜(ロッカクサイ=フノリ) 特に名産は、オットセイである。江差から役人が出張してきて、4月から5月におよぶ。運上屋も春の中ほどから八月の末まで営業する。冬はこの島に住む人はいない。島にアイヌが住んでいないので、瀬棚からアイヌが出稼ぎにきて漁をする。
・流罪人の話 松前藩の咎人が流罪を仰せつけられて島に流されてくるという。当時も12,3人いるという。その頭を喜兵衛というそうだ。
・運上屋主人 運上屋の主人(場所請負人)は荒谷要右衛門という。彼は徘徊者流れで、以前は松前で会った人である。今回は自ら様々な世話をしてくれた。彼の句を1句。 ちよつこりと 行処なし 松の内 耕雪
・武田信広来島と古寺 昔、松前藩の始祖・武田信広が、本州から上ノ国に渡る途中、奥尻に渡られた。その跡というのは、今では知ることができない。しかしながら、西海岸に「テラヤシキ」という地名が残り、泉沢村(木古内町泉沢)の毘沙門堂など(現在の大泉寺)は、ここから移されたものと思う。その証拠に、寺の山号は「奥島山」(奥尻山)である。
・蛇と鼠 この島には蛇と鼠が隔年で住んでいる(多く出てくる)ことを聞いていたので、運上屋で尋ねてみると、昔のことで、今はそのようなことはないという。しかし、今年は鼠の出番なので、蛇は出てこない。そのため、用心してロウソクの類は厳重に箱にしまっておくのだという。 ![]()
現在、オットセイ猟はしていないものの、海産物は今でも島でよく採れるものですし、流罪人の島であった話や武田信広が最初に上陸した話、蛇と鼠の話もお年寄りがよく話してくれるものです。武四郎が見聞きした事柄が、170年以上たった現在でも島内で語られているところに、地域の伝承の根強さを感じます。
by dounan-museum
| 2018-09-22 19:02
| テーマ「松浦武四郎が見た江戸時代の道南」
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