ピリカ旧石器文化館の宮本です。下は今金町のカントリーサインですね。

道路標識の一つで、市町村名とまちのシンボルを表すこのサイン。今金町はピリカカイギュウをモチーフとした2頭のかわいらしい動物がデザインされています。
しかし、町外の人には「このアザラシのような動物は何?」とか「今金町は海が近いのですか?」と首をかしげる人が多いと聞きます。ちなみに今金町は海に面していません。
今回はあまり知られていないピリカカイギュウ化石についてご紹介します。
ピリカカイギュウ化石の発掘
ピリカカイギュウ化石は1983年夏、今金町東端の美利河地区で行われた美利河ダムの建設工事中に現場作業員により発見されました。

発見当時の写真(地層断面から肋骨等が見える)
この情報はすぐに化石に詳しい日下 哉(くさか はじめ)氏(当時北檜山町立左股小中学校教諭)にもたらされ、予備調査の結果、カイギュウ化石の可能性が高いことやさらに化石が埋まっていることがわかりました。翌年、今金町教育委員会が中心となり、日下氏をはじめ大学の研究者を交えた町民発掘調査団が組織され、5月の連休中に発掘が行われました。なお、この調査にはボランティアとして地元町民や教員、幼稚園教諭、主婦、小中学生など延べ263名という多くの人の参加協力がありました。

ピリカカイギュウ化石の発掘調査風景(1984年5月)

ピリカカイギュウ化石の完掘状況(1984年5月)
調査の結果、大型カイギュウの上半身部分の化石が良好に残されていることがわかり、ピリカカイギュウと名付けられました。この化石は一般的な化石のイメージとは異なり、豆腐のような柔らかい状態であったことから、石膏で固めて土砂ごと取り上げるという方法がとられました。その後、大学と地元町民とで分担してクリーニング作業が行われ、1990年に石膏から化石の取り出しが完了し、1998年には全身骨格レプリカが沼田町の沼田化石研究会の協力により制作されました。復元された体長は8mを超え、世界最大級のカイギュウ化石であることがわかってきたのです。

ピリカカイギュウ全身骨格復元模型(現在美利河地区の文化財保管庫に収蔵展示されています)
カイギュウとは?
さて、現在生きている動物でピリカカイギュウに最も近い動物は何だと思われますか?
これまでの経験で、恐竜とかアザラシと言う人が多く、まれにスイギュウと言う人もいますが、いずれもそうではありません。
正解はジュゴンとマナティーです。これらは熱帯から亜熱帯の海にすむ草食の哺乳類で、体長は大きくて3m程度です。ピリカカイギュウはこれと同じ仲間で、18世紀に人間が獲り尽くして絶滅させた大型タイプのカイギュウ・ステラーカイギュウの祖先に当たります。

カイギュウ類の系統図(滝川市美術自然史館編2010年『タキカワカイギュウ発見30年記念「海牛図鑑」』より転載)
ベーリング海という寒冷な地域に生息していたステラーカイギュウが、最初の発見からわずか27年で絶滅に至った経緯については、最近学習マンガも出ましたので、詳しくはこちらをごらんください。
https://hon.gakken.jp/book/1020362800
ジュゴンやマナティーはとてもおとなしい動物で、群れを作って生活しており、同じことが18世紀のステラーカイギュウの観察記録にもあります。ピリカカイギュウも穏やかな浅瀬で群れを作り、のんびり海藻を食べながら暮らしていたのでしょう。
ピリカカイギュウが暮らした海
化石が発見されたのは太平洋岸から10kmほど離れた海抜120mほどの地点で、渡島半島の太平洋側と日本海側とを分ける分水嶺に当たる高い場所に位置します。しかし、ここから海にすむ動物化石が見つかったということは、当時ここが海だったことを示しています。
地層は今から120~60万年前に堆積した海成堆積物で、カイギュウ化石と一緒に見つかった貝化石の中には、現在ベーリング海にすむ種も含まれていました。当時のこの付近は現在よりもかなり寒冷な海だったことが想像されます。
その後、この地域全体が隆起しはじめ、約40万年前以降は陸地化し、現在のような地形になりました。
一般の方にとって、太平洋岸から内陸へ向かって長い登り坂が続き、いよいよ峠に差し掛かったあたりで、海にすむ動物の標識が現われれば、何やら不思議に思うというのもうなずけます。
今年8月、町内の子どもから大人を対象とし、日下氏をお招きしての見学会を開催しました。発掘現場で当時の様子をくわしくお話しいただき、地域の自然・地形について興味をもってもらえたようです。こうした学習機会を今後も設ける予定ですので、ぜひ参加していただきたいです。

ピリカカイギュウ発掘地点で説明する日下 哉氏(2018年8月)