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北海道坂本記念館の三輪です。 明治維新150年&北海道150年 昨年のコラムリレーでご紹介した関連史料5点に続き、今回も幕末維新や北海道、そして北海道に渡った坂本家ご子孫の史料をご紹介します。 ①マシュー・C・ペリー書簡(1835年11月22日付) 嘉永6年(1853)6月3日、アメリカ合衆国フィルモア大統領の国書を携え、神奈川県浦賀沖にアメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・C・ペリーが黒船4隻を率いて来航。この、いわゆる黒船来航が幕末動乱のきっかけとなりました。 翌年には、日米和親条約によって開港が決まった箱館(現函館)にペリー艦隊が来航、港内の測量に着手すると共に、貨幣率がいいとしてあらゆる品々を購入したそうです。また、その一方で、滞在中は西洋料理、写真、気象観測などの文化を箱館に伝えました。 元町公園の下、旧市立函館病院跡地にはペリー提督来航記念碑(像)が建っています。黒船来航150周年となる平成16年(2004)に先駆け、地元団体の手によって平成14年5月17日のペリー来航記念日に合わせて建立されました。 ③郷士坂本家八代・坂本直行ゆかりの品々 当館には、郷士坂本家(坂本家本家=龍馬の兄・権平の子孫)より寄贈された 郷士坂本家八代・坂本直行の未発表絵画のほか、直行が愛用したピッケルやスキーなどの登山用具や札幌の自宅アトリエで使用していた画材道具など、ゆかりの品が多数展示されています。 山岳画家として名高い直行は、明治39年(1906)7月、釧路に生まれました。父・彌太郎(七代)の次男にあたり、終戦直後にハルビンで亡くなった長男・彌直に代わって坂本家を継ぎました。大正13年(1924)、北海道大学農学実科に入学。また、北大山岳部創部と同時に入部し、北海道内の山々を精力的に歩きました。 北大卒業後、温室園芸を学ぶために東京の園芸会社に就職、2年後の昭和4年(1929)、温室園芸事業を計画しましたが、経済的理由で断念し札幌に戻りました。翌年の秋、十勝で牧場を始めた北大の同期、野崎健之助に誘われて野崎牧場で働き始めました。牧場の仕事は重労働でしたが、美しい日高の山々に心を奪われた直行の心は希望に満ち、時間があれば山に登っていたそうです。 やがて、開拓農民になることを決心した直行は、昭和11年(1936)1月、広尾村字下野塚の原野に入植。野崎牧場で一緒に働いていた石崎ツルと結婚し、酪農と農業に従事します。また、仕事のかたわら山へ出向き、スケッチを続けました。 その後、戦後の民主化によって北海道でも農民運動が活発化し、昭和21年(1946)1月には広尾村にも農村建設連盟が結成され、直行は初代委員長に就任し、農政改善を目指して約10年間農民運動を続けました。 昭和32年(1957)、彫刻家峰孝の勧めにより初めて札幌で開いた展覧会が盛況に終わり、以後札幌、東京において定期的に開催されました。昭和35年には開拓地を離れて豊似市街に移住し、画業に専念します。その頃から、帯広に本社がある菓子メーカー「六花亭」発行の児童詩誌『サイロ』への表紙やカット提供の他、執筆活動も行いました。『サイロ』への協力を求められた時、直行は“こどもの心を掘りおこす美しい仕事に、ぜひ参加したい”と無償協力を申し出たといいます。 昭和40年には札幌市に転居し、ヒマラヤに魅せられてネパールへ数回訪れたほか、カナダへのスケッチ旅行にも出向いています。昭和49年には北海道文化賞を受賞。 北海道150年を記念し、今年は坂本直行展示コーナーに、直行直筆の短冊三幅を新たに展示しました。その中の一つをご紹介します。 「若き日に熱き思いを走らせて 雪に散りにし君がいとほし 直行」 これは、昭和15年~16年頃の作といわれ、昭和15年1月、雪崩で逝った友のことを詠んだものといわれています。いつも仲間のことを慮っていた龍馬に通じるものを感じます。
この写真は、大正初期の頃、札幌にあった郷士坂本家七代・坂本彌太郎宅の庭で撮影されたもので、現在の札幌市中央区北1条西16~17丁目付近と思われます。 前列左端に座っているのが彌太郎、3人目で正座しているのが妻・直意、その右が次男・直行(八代)、後列左から3人目が直道(六代・後に龍馬家四代)、この写真は六代・直道、七代・彌太郎、八代・直行が共に写った大変貴重なものです。(北村渚氏提供) 彌太郎は、札幌に転居する前の居住地・釧路で大火の被害に遭い、龍馬の遺品の一部を焼失してしまったこともあり、焼失を免れた遺品を安全に保管するため、昭和6年(1931)1月に恩賜京都博物館(現在の京都国立博物館)に龍馬の遺品一式を寄贈しました。これらの遺品は平成11年6月、文化庁によって国の重要文化財に指定された貴重なものばかりで、今日まで広く一般の人々が龍馬の遺品に接する機会に恵まれているのは、彌太郎の貢献によるものといえます。 釧路から札幌に転居した後の彌太郎は、牧場や農場の経営のほか「北海道製綱株式会社」を創設して、マニラ麻を原料とするロープを製造するなど有能な事業家でした。また、大正9年には札幌区会議員にも当選しており、公園設営調査員の任にあたるなど地元では名士でもありました。 明治維新150年、そして北海道150年の節目となる今年を亡き龍馬も感慨深く感じていることと思います。北海道に渡った坂本家の人々は、「たとえ一人でもやり遂げたい」と手紙に綴った龍馬の北海道開拓への熱い想いを受け継ぎ、厳しい風雪の中を生き抜いて北海道の発展に尽力してきました。 来年は御代替わりの年。元号も変わり新しい天皇が即位されます。北海道に住む私たちも、龍馬の熱い志を受け継ぎ、新しい時代を切り開いていきたいものですね。 ちなみに、現在、当館から程近い函館ベイエリアでは、姉妹都市カナダ・ハリファックス市から贈られた高さ約20メートルのもみの木に美しいイルミネーションを施した恒例イベント「2018はこだてクリスマスファンタジー」が12月25日(火)まで開催されていますので、ぜひ足を運んでください。 http://www.hakodatexmas.com/index.html#top 年末年始を控え、日増しに寒さが増しています。皆様、体調にはくれぐれもご自愛いただき、良い年をお迎えください。
by dounan-museum
| 2018-12-24 11:54
| コラムリレー
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