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北斗市郷土資料館の時田です。今回は、北斗市に所在する二つの国史跡城郭のうち一つ、松前藩戸切地陣屋跡についてご紹介したいと思います。 江戸時代後半から幕末にかけて、蝦夷地(現在の北海道)近海には捕鯨の興隆などの影響で外国船の出没が相次ぐようになり、当時の日本を取り巻く国際情勢の中で北方の防衛が重要さを増していく中、嘉永6(1853)年にアメリカ海軍代将・ペリーが浦賀に来航、さらに翌嘉永7(1854)年には神奈川条約(日米和親条約)の締結により箱館・下田の二港が開港となります。 事ここに及び、幕府は松前半島を除く蝦夷地の大部分を松前藩から上知(没収)し直轄することを決定します。この直轄地について、幕府は松前藩に東北四藩(弘前・南部・秋田・仙台)を加えた五藩で警衛するように命じ、このうち松前藩の分担となったのが、北方の幕府拠点である箱館奉行所や海防の要である弁天・矢不来などの台場群も所在する、現在の函館平野一帯でした。松前藩戸切地陣屋は、こうした警衛地の管轄と箱館奉行所の後詰という、北方防衛の要を果たすための拠点として築造されたのです。 安政2(1855)年当時の蝦夷地警衛分担のようす 安政2(1855)年、現在の北斗市野崎に位置する標高70mほどの舌状の丘陵上に戸切地陣屋は築かれました。この丘は古くから城を築くのに適した土地として知られ、史学者としても知られる江戸時代中~後期の松前藩家老・松前広長は「近国無双の城地」と評しています。その所以は、西方を崖・北方を山地に守られ攻めるに難く守るに易い地形と、現在の函館平野から函館湾一帯を一望におさめることのできる好位置にあることが挙げられるでしょう。 戸切地陣屋運営当時は、この丘陵上に、現在ものこる主郭と土塁に囲まれた武家屋敷群が配されていたことがわかっており、これらを併せて一種の平山城の体をなしていたものと考えられます。 おそらくは工期(半年足らず)・工費などの影響もあり、本来四稜に設けられるべき稜堡は東稜の一角のみに留まっていますが、先述の通り、所在する地形の特徴上、西は崖・北は山地そして南は武家屋敷群により守られており、その防衛上の機能は主郭東側の防衛という観点で見れば十全に満たされるものです。加えて、土塁・濠の構造は当時日本に入ってきていた蘭学における銃砲戦仕様築城の教本における築造法に忠実につくられています。 戸切地陣屋の設計を行ったのは後に陣屋の備頭(守備隊長)も務めた松前藩士・藤原主馬康茂と考えられています。『蝦夷錦血潮之曙』によれば、天保12(1841)年に十一代藩主松前昌広の命により江戸に留学し、当代随一の洋学者であった佐久間象山の塾に入り蘭学・砲術・築城法を学んだといいます。嘉永7(1854)年のペリー箱館来航時には松前藩の第二応接使を務め、また『北門史綱』によれば、陣屋築城後その功により加増を受けています。 松前昌広は病のため若くして藩主の座を退きますが、藩政の刷新に積極的に取り組み、有能な人材を江戸・上方に留学させるなど開明的な人物でした。また戸切地陣屋築造時の藩主・十二代崇広もまた蘭学・英語・兵学を内外の学識者を招聘して学ぶなど、西洋通として知られた人物でした。当時国内において前例の無かった星形要塞の築造に至った背景には、こうした藩の気風も無縁ではなかったのではないのでしょうか。 その後戸切地陣屋は幕末の蝦夷地においてその役目を果たしていきますが、江戸幕府倒幕後の明治元(1868)年、旧幕府軍の蝦夷地上陸より始まった箱館戦争の緒戦において、大野の防衛のため出兵していた備頭(守備隊長)竹田作郎率いる軍を欠く留守兵で守るところを旧幕府軍の別動隊に攻められ、陣を自焼し兵を撤退。13年間という、決して長くはない城としての役目を終えます。 桜のトンネルと松前藩戸切地陣屋跡表御門 現在、陣屋へと至るかつての大通り沿いには、明治37(1904)年に日露戦争の勝利を祈念して植えられた桜の並木が並び、約800メートル続く桜のトンネルとして季節ごとに目を楽しませてくれます。また、陣屋周辺の紅葉は秋ごろ見事な色づきを見せてくれます。もしご機会がありましたら、さらにそのもう一歩奥にたたずむ、星形の堡塁まで足を運ばれ、幕末の頃に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
by dounan-museum
| 2019-09-08 15:51
| コラムリレー
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