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北海道坂本龍馬記念館の三輪です。 去る10月22日、宮中にて「即位礼正殿の儀」(そくいれいせいでんのぎ)が執り行われました。この儀式は天皇陛下ご即位を公に宣明され、国内外の代表がお祝いする儀式です。当日、朝から降っていた雨は式典開始直前に止み、皇居上空には見事な虹がかかったそうです(しかも二重!)。それはあたかも、天が祝福しているかのようであったといいます。 平成から令和へ、今年は天皇ご譲位、そして改元という御代替わりの特別な年となりました。当館ではそれを記念し、4月より「明治天皇と近代日本の夜明け」と題した特別展を開催しています。そこで、今回のコラムリレーでは明治天皇と函館の繋がりについて記してみたいと思います。 現在公開中の特別展「明治天皇と近代日本の夜明け」 明治天皇御製 「むかしより たみはたからと つたえきく くにのすがたを みるぞうれしき」 ■悠久の歴史を誇る皇室 『古事記』や『日本書紀』などの歴史書(神話)には、日本は天照大御神(あまてらすおおみかみ)のご子孫が代々天皇として皇位を継がれ、現在に至るまで途切れることなく国を治めてこられたと記されています。国民の祝日の一つである「建国記念の日」(2月11日)は、日本書紀に記された初代神武天皇のご即位日が新暦の2月11日にあたることから、この日に定められています。 また、神武天皇以来、今年の御代替わりによって皇位を継がれた今上天皇(※1)は第126代にあたり、日本は皇紀2679年(※2)という世界最古の歴史と伝統を持つ君主国家とされています(諸説あり)。ちなみに、ギネスブックにおいても日本の皇室が世界最古の王家として認定されています。 ※1今上天皇(きんじょうてんのう)⇒現在、皇位につかれている天皇。 ※2皇紀(こうき)⇒初代神武天皇ご即位を元年とする日本独自の紀元。 ■ラグビー日本代表と「さざれ石」 ところで、「即位礼正殿の儀」が執り行われる数日前、ラグビー日本代表チームが史上初となる決勝トーナメント進出を果たしました。残念ながら勝利することはできませんでしたが、優勝候補といわれる強豪南アフリカに対する堂々たる戦いぶりに日本中が熱狂し、エールを送りました。 チームリーダーのリーチマイケル選手はニュージーランド出身で、かつて留学生として札幌山の手高校で学んでおり、北海道とは浅からぬ縁があります。数年前に帰化して日本国籍を取得した親日家の彼は、海外出身選手も多いチームの結束強化を図る目的で、合宿後に宮崎県日向市の大御神社を訪れ、チームメンバーを率いて日本最大級のさざれ石を見学したそうです。 また、外国出身の自分が日本代表の主将を務めることに責任感を持つ彼は、他の外国出身の代表選手たちにも積極的に日本の文化を伝え、『武士道』や『覚悟』といった言葉を好んで使っているといいます。日本代表チームの大躍進は、大和魂や武士道精神に支えらたものかもしれません。 ※さざれ石⇒日本国家『君が代』の歌詞で知られるさざれ石は、本来細かい石・小石を意味します。『君が代』では、それらの小石が巌(いわお)となり、さらにその上に苔が生えるまでの過程が、非常に長い歳月を表す比喩表現として用いられています。 ■明治天皇について 第122代・明治天皇は、嘉永5年(1852)9月に生誕され、父である孝明天皇により祐宮(さちのみや)と命名されました。万延元年(1860)9月には、親王として睦m(むつひと)の諱(いみな)を賜ります。 慶応4年(1868)8月27日、京都御所にて即位の礼が執り行われ、同年(明治元年)3月14日には「五箇条の御誓文」を発布して新政府の基本方針を表明され、明治と改元して「一世一元の制」(天皇在位中に元号を変えない制度)を定められました。江戸開城から半年を経た明治元年10月13日、明治天皇は初めて江戸に行幸され、同日、江戸を東京に、江戸城を東京城に改称、明治2年(1869)以降は東京に居住されました。 明治2年6月に「版籍奉還」を勅許。明治4年7月には「廃藩置県」を断行して中央集権体制を確立。明治6年の征韓論や、明治7~8年にかけて続いた自由民権運動では、立憲政体の詔を発して政体改革を進めるなど、政府内部の政治的対立を調停する役割も果たされました。 明治15年(1882)に「軍人勅諭」、 明治22年(1889)には「大日本帝国憲法」を公布されます。この憲法は、日本史上初めて天皇の権限を明記しており、立憲君主制国家確立の基礎となりました。また、翌年10月30日には「教育勅語」を発布され、近代天皇制国家を支える国民道徳の涵養に努められました。 外交においては、明治27年の「日英通商航海条約」、明治35年の「日英同盟」など大国との条約を締結し、軍事的・経済的な国力の増強を図られました。また、日本が初めて直面した外国との近代戦争である「日清戦争」と「日露戦争」では、明治天皇は大本営で直接指揮を執られました。明治44年(1911)、開国以来の懸案であったイギリスやアメリカなどの欧米各国との不平等条約の改正が実現し、明治天皇のもと、日本は近代国家としての礎を築きました。 明治天皇は常に改革と刷新を求められ、新しい国家作りを目指して尽力されました。その治世は諸外国からも高い評価を受けています。 明治天皇 (神奈川県立歴史博物館) ■明治天皇の北海道ご巡幸 坂本龍馬が目指した蝦夷地開拓は、明治に入り、国際情勢の上からも急務となったことから、明治2年(1869)7月、明治天皇は蝦夷地開拓を所管する役所である開拓使を新設し、鍋島直正を初代長官に任命されると共に、蝦夷地を北海道と改められました。明治4年8月には開拓使十年計画が定められ、本格的な開拓事業が始まります。 明治9年(1876)、明治天皇は東北ご巡幸に際し、函館にも上陸されました。ご巡幸後、7月18日に函館を出発され、20日に横浜に帰着されたことを記念して昭和16年(1941)に制定されたのが「海の記念日」で、現在は「海の日」として国民の祝日になっています。 その後、明治15年(1882)には開拓使十年計画が終了することから、開拓使はその前に開拓民の実状を明治天皇にご覧いただくことを熱望し、当時の開拓長官・黒田清隆の願い出により、明治14年7月31日からの山形県、秋田県、北海道へのご巡幸が決定し、北海道は小樽・札幌・千歳・白老・室蘭・森・函館を順に巡られました。 多くの先人や開拓民の努力、そして明治天皇の思し召しにより、近代日本の第一歩として、北海道の基礎が固められたのです。 明治天皇御上陸記念碑(函館市大町) 明治9年のご巡幸における函館ご上陸を記念して昭和10年(1935)に建立。右後方の建物は海上自衛隊函館基地隊本部。 明治天皇行幸記念碑(函館市元町) 明治9年7月16日、明治天皇が開拓使函館支庁を行幸されたことを記念し、昭和15年(1940)7月16日に建立されました。
by dounan-museum
| 2019-10-30 18:46
| コラムリレー
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