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森町教育委員会の高橋です。今回は森町の指定文化財である冷凍機械の紹介です。 大正9(1920)年8月、山口県小郡出身の葛原猪平(敬称略)は森沿岸の豊富な魚に注目し、当時人家もほとんどなかった現在の港町地域にて冷凍工場を建設し、その操業を開始しました。
(株)ニチレイフーズ森工場にある冷凍機械 アメリカの大学に学んだ実業家である葛原は、大正10(1919)年にアメリカから冷凍技師ハワード・ゼンクス親子を伴い帰国し、良好な漁場の豊富な水産資源を国民等に供給するため宮城県気仙沼町に冷蔵庫を建設し、翌年には森町に冷蔵庫を建設しました。 森町に続いて葛原は青森、東京、大阪、朝鮮や台湾等に次々と大形冷蔵庫を設置し、産地と消費地を繋ぐための冷凍搬船を建造し、冷凍食品流通網の整備を進めました。そうした中、大正12(1923)年9月の関東大震災が起きた際、葛原の冷蔵庫にあった冷凍魚を東京の罹災者に無償で配布し、このことが冷凍魚の価値、非常時における冷凍食品事業の重要性を広く認識させるきっかけとなりました。 しかし、大正14(1925)年に葛原の事業は終焉を迎えます。その原因は整備規模が当時の国内の企業形態とかけ離れて大規模であり資金繰りも厳しかったことや、冷凍魚の日常的な商品としての理解が定着しなかったとも言われています。ちなみに当時の冷凍魚はマグロ、ブリ、イカ、サバ、イワシ等が利用され、このことは水産物の流通形態にも影響を与えています。 葛原の成果として注目されることは現代の「コールドチェーン」の先駆けとなるような低温で製品を維持管理する流通システムを実践したことです。当時にしては画期的で大規模な設備投資、冷凍品を運搬する媒体や運搬先の冷凍設備を整備したのです。ここに「日本冷凍食品事業の発祥」という評価が与えられています。日本で最初に冷凍食品事業を試みたのは鳥取県橋津出身の中原孝太という実業家です。明治32(1899)年に地元鳥取の冷蔵倉庫を利用し冷凍魚の製造を始めましたが、搬送方法の問題や消費地の関西方面に冷凍魚を保管する設備がなかったことで事業化には至りませんでした。葛原の成果はこの20年後の出来事です。 森町にある冷凍機械(コンプレッサー・電動機 各1台)は、葛原が冷凍食品の流通網を整備した際に設置された設備の一つであり、昭和44(1969)年に稼動を停止しました。半世紀にわたり活躍してきた冷凍機械は現役を去った後、その歴史的価値が認められて昭和48(1973)年9月1日に森町指定文化財(第2号)となり保存されることとなりました。 参考文献 ・森町 1980『森町史』pp891-893 ・日本冷凍食品事業発祥之地記念碑建立期成会 1969『日本冷凍食品事業発祥之地記念碑完成記念』パンフレット
by dounan-museum
| 2020-01-19 23:59
| コラムリレー
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Comments(1)
Commented
by
エッサ 本名は大越二三夫
at 2021-07-07 20:30
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道南ブロック博物館施設等連絡協議会さんこんにちは エッサといいます
冷凍機のレポ興味深く拝見しました おねがいがあります 小生ameblo Armchair Journey(机上日本一周) https://ameblo.jp/essa564239/で きょうは森町へ行きました(ということになっています)写真1葉お借りしたいのです クレジットとURLは明記します upは7/8 6.00の予定です よろしくお願いいたします
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