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八雲町郷土資料館・木彫り熊資料館の大谷です。 今回は、資料を集めることで見えてきた作者の同定と、作風の変遷を紹介したいと思います。 さていきなりですが、この鮭背負い熊、どう思いますか?八雲の人が作ったと思いますか? なんか八雲っぽくない鮭背負い熊ですが、裏に彫られた号を見ると「牛歩」と彫られています。作られたのは1974(昭和49)年。 牛歩といえば、本名は早川惣三郎。号は3つ、雪洲、牛歩、歩兵を使ったといわれています。 この中の歩兵は現在作品が見つかっていません。 しかし、雪洲と牛歩は、戦前に作られた木彫り熊の中に見ることができます。 牛歩作這い熊(八雲産業株式会社管理) 早川惣三郎といえば、1932(昭和7)年から1942(昭和17)年まで農民美術研究会に木彫り熊を納品していた記録があります。 這い熊とネクタイ掛けは、この頃の作品です。 早川の製作個数は11年間で総計4532個、1年間で一番多く制作した年は昭和14年で765個納品していました。 単純な製作数では、納品記録のある20人のうち5番目に多く納品しています。 昭和18年以降研究会に納品した記録はなく、いつかはわかりませんが登別・室蘭の方へ引っ越したといわれていました。 最初にお見せした鮭背負い熊ですが、あまりにも資料館にある早川雪洲/牛歩と作風が違い過ぎることから、単純に号が一緒の別人では?と考えることもあったのですが、同一人物と考えていい資料が見つかりました。 それが、令和3年3月31日に閉校となった山崎小学校にあった木彫り熊です。閉校後、資料館に寄贈となりました。 パッと見、八雲らしくない吠え熊に見えますが、鮭背負い熊の毛の彫り方に似ています。 眼の作り方もそっくりです。 この作者が、早川牛歩。 山崎小学校六十周年体育館落成記念に、自分で彫って自分で贈った、1967(昭和42)年の作品です。 この鮭背負い熊に近い年代の吠え熊を見ると、どうやら早川は八雲を離れた後、作風が変わったということでよさそうです。 こうやって、資料が集まることでわかってくることもあります。 特に言い伝えというか、作品と作者が一致していない、話でしか残っていないみたいな状態なものを、確定させていくために欠かせません。 集まり過ぎると今度はどうやって整理して収蔵しようか、頭が痛い問題も出てくるのですが、少なくとも八雲に関係する木彫り熊は集めて後世に残し、いまだにわからないことが、いつかわかるための手がかりを残していくことが必須と考えています。
by dounan-museum
| 2021-09-24 19:55
| コラムリレー
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