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こんにちは。ピリカ旧石器文化館の矢原史希です。 今回は、黒曜石にまつわるお話しです。 2023年6月に国宝に指定された遠軽町白滝遺跡群の黒曜石製の石器は記憶に新しいところですが、北海道の旧石器時代では黒曜石は石器の材料として非常によく使用されています。 十勝石、という愛称でも親しまれるほど北海道の石という印象がある岩石ですが、実は北海道のどこにでもあるわけではなく、主に白滝、置戸、十勝三又など道東北や道央の赤井川など、ごく限られた場所でしか産出しません。 ピリカ旧石器文化館展示パネルより、北海道の石器石材産地を示した図 特に、今金町のピリカ遺跡が位置する渡島半島には全く黒曜石は存在しないため、多くの石器は堆積岩の一種である珪質頁岩を材料に製作されています。珪質頁岩は渡島半島の太平洋側を中心に広く分布しているため道南では主要な石材として石器時代を通じて大量に利用されており、ピリカ遺跡はその代表的な遺跡と言えます。 ところが、不思議なことにピリカ遺跡ではなぜか極端に黒曜石を使用する割合の高いエリアが見つかっています。 細石刃は骨製の槍の側面に埋め込んで刃として使う 現在石器製作跡として公開している場所から発掘された細石刃489点のうち、実に95%以上が黒曜石で製作されており、遠い産地であるはずの黒曜石が石器の素材として積極的に使用されていることがわかります。また、細石刃を取り出す本体である細石刃核は13点中12点が黒曜石製であり、やはりこちらも黒曜石が90%以上を占めています。 ピリカ遺跡にいた旧石器時代人は、どのようにして遠い土地の岩石を入手してこの場所まで運び込んでいたのでしょうか? そのヒントは、石器の表面に残されていました。 細石刃核の素材部分の拡大写真 写真は、石器製作跡から発掘された細石刃核の表面を拡大したものです。ピリカ遺跡の細石刃核は原石を割って細長い剥片にしたものを素材にしていますが、この素材を作り出す時に割った面に大量の傷が残されていました。 様々な方向に延びた線状の傷や、土が入り込んで黄色く見えている穴ぼこ状の傷が見えますが、これらは黒曜石を長い時間持ち歩いた際に表面にできる傷跡と非常によく似ています。 一方、素材を加工して整形する時に割った面を見てみると、多少傷はあるものの明らかに傷が少ないことがわかります。 細長い剥片を加工した部分の拡大写真 これは、ピリカ遺跡に来た旧石器時代の人間は大きな原石の塊ではなく、それを割って細長い剥片の状態にしたものを持ち運んでいたことを示しています。長い距離、長い時間石を持ち運ぶほど表面の傷の量は増えていきますが、途中で割って加工することで傷付いた表面が除去され、傷の無い新鮮な面が現れます。そのため、写真の石器のように素材を用意した時の面だけが突出して傷が多いという状況から、素材を用意したタイミングとそれを加工して使い始めるタイミングに長い時間のズレが存在していたことがわかります。 なぜこのような運び方をしていたのかについては様々な理由が考えられますが、一つの可能性として、人間が一度に運べる量には限りがあるため貴重な素材については現地であらかじめ割って使いやすいものだけを選別し、無駄な重量を減らそうとしたためと考えられます。厳しい氷河期を生き抜くためには、より良い材料の獲得だけでなく、それを運搬するコストも考慮に入れなければならなかったのでしょう。 黒曜石のように広い範囲に運ばれていった資料の痕跡を丹念に追いかけていくことで、旧石器時代に生きた人々の社会の一部を垣間見ることができます。
by dounan-museum
| 2023-10-11 12:01
| コラムリレー
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