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森町教育委員会の高橋です。令和6年4月1日に指定された森町の新たな文化財を紹介します。それは町立尾白内小学校(令和6年3月に閉校)にあるフランシス・ブラックニーという名前の通称「青い目の人形」です。
フランシスは、昭和2 (1927)年にアメリカの宣教師シドニー・ルイス・ギュー リックらが立ち上げた世界児童親善会から、日米親善の目的(日本側の受け入れ や手続きを担ったのは実業家渋沢栄一を代表とした日本国際児童親善会)で日本 の小学校等に贈った約12,000体の「友情人形」(Friendship Dolls)のうちの1体 です。日露戦争後の不安定な社会情勢の中でアメリカ国内での反日感情の高まり が背景にあるとされ、そうしたムードを少しでも和らげようという願いから ギューリックや渋沢が計画したものでした。日本からも「答礼人形」として50体 ほどの日本人形がアメリカに贈られています。 日米親善の役割を期待された青い目の人形は、その後の社会情勢の影響を受け、 日米が争うかたちとなった太平洋戦争の頃には敵国の象徴という意味を付与さ れ、大半の人形が処分されました。現存する人形は300体ほどと言われており、 9割強が処分されたことからも、その異様さが想像されます。
フランシスは日本に到着した時の旅券や挨拶文が現存しています。還暦や卒寿等のイベントを記録した資料や当時の新聞記事も一緒に残されており、尾白内小学校の児童や先生・地域の方たちに大切にされていたことがよく伝わってきます。このようなことから、昭和初期の日米関係や町の歴史と文化を伝える重要なものとして文化財に指定されました。 しかし、フランシスが伝えていることは、これだけではないと思います。青い目の人形は親善大使としてパスポートや案内状まで準備され、現代から見るとかなり公式的な贈り物に見受けられ、事実大切にされていたことでしょう。ところが一転、青い目の人形は突如処分される事態に見舞われます。人形を持っていてはいけない、処分するべき、といった体制・雰囲気に世の中が変わってしまいます。友好親善の願いが込められた大切なものが忌み嫌われるものとして扱われます。それが戦争です。 ある人は、大事にして愛着もわいてきた人形をなぜ捨てるのかと強く抵抗したかもしれません。またある人は、敵国からの贈り物を大事にする必要はないとこれみよがしに処分したり、人形を持っていることが役人や近所の人に知られたら自分たちの命も危ういという思いから処分したかもしれません。なかには処分したと説明して、倉庫や物置に見つからないように隠していた人もいたようです。その結果、1万体以上が処分されわずか300体ほどが戦禍を免れました。 ここに戦争と戦時下の社会に生きる多くの人々の苦悩や葛藤を想像することができるでしょう。戦争は世の中を、そして日常の暮らしを一気に変えてしまいます。人の命の重みを忘れさせ、考える機会を奪い、時には命を落とすことを良しとする風潮をも作り出してしまいます。今も同じことが起きています。戦争を終わらせることは難しいですが、戦争を繰り返さないためにはまず戦争はどういうものかを知り、忘れないで伝えていくことが重要です。フランシスは戦争の悲惨さを忘れないでほしいというメッセンジャーの役割を担っていると思います。 過去の成功や失敗をもとに、未来の平和について、今考えて行動する。フランシスたち青い目の人形がそのきっかけになることを願っています。 参考文献 本田 徹 2023『青い目の人形』
by dounan-museum
| 2024-08-25 23:58
| コラムリレー
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