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江差町教育委員会の小峰です。 今回は、開陽丸記念館で展示する大砲と砲弾の種類についてご紹介し、 現在も「幕府最強の軍艦」と謳われる理由を資料からみていきます。 開陽丸は、江戸時代の終わりに、江戸幕府がオランダに発注して建造された軍艦です。 日本にやってきてからは、江戸幕府の軍艦として航海し、明治元年の箱館戦争のさなか、江差で座礁・沈没します。 開陽丸は軍艦なので、艤装時は26門の大砲が据え置かれていました。日本にやってきてからの動乱で、最終的には35門の大砲が船に装備されていたともいわれていますが、確かなことはわかっていません。それでも、26門という数は、当時の幕末期における軍艦の中でも、比較的多い数でした。 明治元年の沈没から100年以上が経った昭和50年、海底の発掘調査が始まり、約33,000点の遺物が引き揚げられました。このうち、大砲は5種類・6門が引き揚げられ、現在は開陽丸記念館で展示しています。 大砲の名称は様々ありますが、ここでは開陽丸記念館のキャプションで記載します。 ①30ポンドカノン砲(図1) オランダ領ロイク(現ベルギー・リエージュ)の王立銃砲鋳造所製造/鋳鋼 口径160㎜/全長242cm/重量1,686kg/最大射程2,700m/砲耳(大砲を支える突起)に1853の刻印 ②9インチダルグレン砲( 図2) アメリカ製造/鋳鉄 口径225㎜/全長333cm/重量4,200kg/最大射程1,400m ③1ポンドダラアイバス( 図3) 製造地不明/青銅 ④16サンチクルップ砲 ドイツ・エッセンのクルップ製鋼所製造/鋳鋼 ④’クルップ砲屋内展示(図4) 口径158㎜/全長335cm/重量2,855kg/最大射程3,983m/砲耳に1865の刻印 ④”クルップ砲屋外展示(図5) ⑤12ポンドカノン砲(図6) 製造地不明/青銅 引き揚げられた大砲はいずれも前装式という、砲門から弾を込める方法がとられていました。当時は、大砲の歴史の中で前装式から後装式へ移行する過渡期で、後装式の実用化を目指すため、試行錯誤されていたタイミングでした。 次に、引き揚げられた砲弾を見てみると、よく来館者の方に「大砲の弾の形や種類が違うのはなぜ?」と声をかけられます。 これは、大砲や用途によって砲弾を使い分けているからです。 海底から引き揚げた砲弾の種類を大分すると、2種類に分けられます。 ・古いタイプの大砲 ・新しいタイプの大砲 このどちらかで使うかの違いです。 古いタイプの大砲は、砲身(筒の部分)内部がつるつるしているもので、滑腔砲(かっこうほう)と呼ばれています。先に紹介した大砲の①~③の大砲です。 新しいタイプの大砲は、砲身内部にらせん状の溝が入っていて、施条砲(しじょうほう)やライフリング砲と呼ばれています。先に紹介した大砲の④,⑤の大砲です このらせん状の溝によって、弾が回転しながら発射され、まっすぐ遠くに飛ばすことができます。つまり、古い大砲を使う敵の攻撃範囲の外から、命中率良く攻撃することができるのです。 この違いは、開陽丸記念館の屋外で展示している大砲で見ることができます。 図7(9インチダルグレン砲)が古いタイプの大砲。砲門を見るとつるつるで滑らかです。図8(16サンチクルップ砲)が新しいタイプの大砲。砲門には6つの溝が確認でき、この溝がらせん状に砲身の奥へ続いています。 古いタイプと新しいタイプの大砲で使う弾をどのように見分けていたかというと、弾の形です。 古い大砲では、基本的に丸い形の弾が使われ(図9)、新しいタイプの大砲では、ドングリのような形をした弾が使われていました(図10)。 さらに、それぞれの弾を見てみると、穴が開いているものと開いていないものがあります。 その他にも、焼夷弾や散弾等が引揚遺物でも確認できることから、用途に合わせて使い分けていたことがわかります。 このように複数種類の大砲を装備することは、当時としては珍しいことではありませんが、艤装時の26門のうち18門が性能の良いクルップ砲(④)が据え置かれていたといわれています。 この大砲の数とその種類が、「幕府最強の軍艦」と言われる理由の一つといえます。 今日のコラムの内容は、動画にまとめてYoutubeで公開しています。その他の動画も是非ご覧ください。 #江差の文化遺産 021 開陽丸の大砲と弾の種類やしくみ
by dounan-museum
| 2024-10-20 16:56
| コラムリレー
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