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令和6年(2024)は、昭和29年(1954)9月26日に来襲した15号、のちに「洞爺丸台風」の惨禍から70年目を迎え、市立函館博物館では、「洞爺丸の悲劇から70年」と題したロビー展を令和6年(2024)10月23日から令和7年(2025)6月22日まで開催しています。 洞爺丸台風については、当時報道関係をはじめ多くの人々に記録されていますが、そのうちの一人に、当時の旧国鉄青函船舶鉄道管理局に勤務し、連絡船の乗務員だった金丸大作氏がいました。金丸氏は大正13年(1924)に群馬県に生まれ、戦時中の昭和19年(1944)に官立無線電信講習所(現電気通信大学)を卒業後、連絡船の無線通信士として乗務していましたが、翌年には徴兵されました。ご本人は生きて戻れないと死を覚悟しての出征でしたが、国内で終戦を迎え、無事に函館に戻ることができました。帰函してみると、昭和20年( 1945)7月14日から数次にわたる米軍の空襲によって次々と連絡船が撃沈され、出征しなかった多くの仲間が犠牲になっていてことを知り衝撃を受けたと回想しています。 そして函館に戻って間もない昭和23年(1948)頃から以前から興味のあった写真を始めることになりました。自身の職場である連絡船をはじめ,街や人々など被写体には事欠かなかったようで,昭和25年(1950)には函館三平フォトクラブ創立会員となり,翌年にはアサヒカメラ誌に初入選を果たしています。 一方、青函航路は終戦直後の混乱期を経て、「海峡の女王」と呼ばれた洞爺丸をはじめとする新造船が次々と就役していき、順調に復興しつつありました。昭和29年8月には、北海道国体に臨席するため来道した昭和天皇、皇后両陛下の御召船の栄誉に浴した洞爺丸でしたが,わずか1か月後には他の4隻の連絡船とともに台風の犠牲となってしまいました。ちなみに金丸氏は天皇陛下来道の際には、国鉄側の公式カメラマンとして活躍しています。 運命の9月26日当日、金丸氏はちょうど非番だったために難を逃れましたが、事故の一報を聞いてすぐに現場に向かったとのことです。この直後、国鉄から約1カ月間、事故の記録を撮るよう命ぜられ、2台のカメラを引っ提げてあちこちを精力的に撮影して回りました。このうち公式に撮影したフィルムは国鉄側に渡したもののその後公開されることなく行方が判らないとのことです。そのため、写真集や各地で開催された写真展で目にすることができるのは、手元に残された個人として撮影した写真のみです。 ![]() 七重浜で捜索活動を見守る人々 その後は連絡船の無線通信士として乗務する傍らで、「写団海峡」というグループを創立・主宰し、函館写真協会の会長に就任するなど、写真家としても精力的に活躍されました。昭和58年(1983)には、「羊蹄丸」を最後に退職し、家族同様の仲間の乗務員や自身の生活の場でもあった連絡船との半生は終わりましたが、その後も連絡船をはじめ多くの写真を撮影し、数々の賞を受賞しています。平成31年(2019)に逝去されましたが、金丸氏の遺された膨大な写真は、令和6年(2024)にご遺族から当館に寄贈されました。 今回、未曾有の被害を出した「洞爺丸台風」をテーマに展示会を開催しましたが、金丸氏自身の手記やご遺族のお話では、この事故を風化させずに語り継いで欲しいという強い思いがありました。当館に来館されるお客様の中で、本州の方や若い方はこの事故のことを知らないと語っている方もいらっしゃいます。金丸氏の写真の中には、犠牲者などの惨劇を伝える写真よりも、事故に遭った家族や知人の無事や犠牲者への追悼の祈りを捧げる人々の写真がいくつも遺されています。戦争や台風で多くの仲間や乗客を失ったことは、金丸氏にとって一生大きな傷として残り、こうしたシーンをファインダー越しに覗いてシャッターを切るとき、自身の強い思いを投影していたのだと強く感じます。我々博物館として、こうした歴史の一頁を風化させないように少しでも多くの方に伝えていきたいものです。 なお、JR函館駅の2階と函館市青函連絡船記念館摩周丸では、「台風との斗い・洞爺丸をはじめ5青函連絡船遭難記録」と題した企画展が令和7年(2025)3月30日まで開催されていますので、合わせてご覧いただければご幸甚です。 そして最後に犠牲になった多くの乗客乗務員の方々のご冥福をお祈りいたします。 ![]() 七重浜に捧げられた献花
by dounan-museum
| 2025-01-13 09:14
| コラムリレー
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