|
カテゴリ
全体 コラムリレー 市立函館博物館 函館市縄文文化交流センター 北海道立函館美術館 函館市北方民族資料館 函館市文学館 五稜郭タワー 函館高田屋嘉兵衛資料館 土方・啄木浪漫館 北海道坂本竜馬記念館 北斗市郷土資料館 松前町郷土資料館 松前藩屋敷 知内町郷土資料館 七飯町歴史館 森町教育委員会 八雲町郷土資料館 福島町教育委員会 江差町郷土資料館 上ノ国町教育委員会 厚沢部町郷土資料館 乙部町公民館郷土資料室 奥尻町教育委員会 大成郷土館 ピリカ旧石器文化館 テーマ「道南の考古学」 テーマ「道南の自然」 テーマ「道南の農業開発の歴史」 テーマ「松浦武四郎が見た江戸時代の道南」 テーマ「道南の美術を知る」 テーマ「幕末維新・箱館戦争」 テーマ「道南のアイヌ」 事務局 コラムリレー 北海道坂本龍馬記念館 未分類 お気に入りブログ
リンク
以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
最新の記事
記事ランキング
画像一覧
|
江差町郷土資料館の宮原です。 ![]() 2025年は1945年に日中戦争と太平洋戦争が終わってから80年となる年です。 この企画展は、戦争体験談などの記録や江差町郷土資料館で所蔵する戦争資料を展示して紹介することによって、戦争に関連する記録と資料を後世へ伝えていくことの大切さを知ってもらうために開催しています。 ![]() ■展示の内容 この企画展では「戦争体験談の紹介」と「戦争資料の展示」を関連させてご覧いただくことを目指しました。 まず「戦争体験談」ですが、戦後80年を迎えると戦争体験をされた方々が少なくなってきていて、直接に体験談を聞くことができなくなっていることが現実です。 江差町教育委員会では戦後60年となる2005年に、江差町にお住まいで戦争体験をされた11名の方からお話を伺い、「私の戦争体験」として冊子にまとめました。 今回の企画展には「記録を後世へ伝えていく」という目的があるので、20年前に記録した体験談を文字の資料として大きく展示しています。 そして、その体験談に出てくる資料を関連させて展示しています。 ![]() 何人かの戦争体験談と関連資料をご紹介します。 ![]() この体験談は石橋藤雄さんからうかがいました。江差で暮らしていた人たちが出征していった時の話です。 戦争が始まったころは、出征する人の人名が書かれた大きな幟を何本も立てて見送っていたそうです。 石橋さん自身は1944年に徴兵検査を受け、その年の11月に入隊しましたが、その頃は戦争が始まったころの出征見送りとくらべて簡素になっていたとのことです。 この日の丸への寄書きは石橋さんがもらったものではありません。 日の丸への寄書きがどのようなものかがわかるように、他の方のものを展示しています。 この体験談は高橋広さんからうかがいました。高橋さんがシベリアで抑留されていた時の話です。 高橋さんは1942年に赤紙が来て入隊し、千島列島の幌筵島(パラムシル島)で終戦を迎えました。 その後、ソ連軍が侵攻してきた占守島(シュムシュ島)で交戦しましたが停戦となり、捕虜となってシベリアへ抑留されました。 シベリアでの抑留生活のなかで、エンバクをすくうスプーンを自作しました。 ![]() ■映像での戦争体験談 江差町内には、出征されてシベリア抑留も体験された方がお元気に暮らしていらっしゃいます。 1926年に生まれた松村隆さんは、2025年の誕生日を迎えられると99歳です。 松村さんからは2005年にも戦争体験談を伺いましたが、今回は松村さんの戦争体験を映像で記録してYoutubeで公開しています。 展示会場でもダイジェスト版を上映しています。 この企画展の目的は、戦争に関連する記録や資料を紹介することによって、それらを伝えていくことが大切であることを知っていただくことです。 記録や資料を見ての感想の内容はみなさんに委ねています。 しかし、展示作業をしながら私自身が改めて感じたこともありました。 それは「戦争は多くの人々の人生をその人の意思に関係なく変えてしまう」という当たりのことです。 以下に体験談をご紹介して終わりとします。 ●高野コマさん(戦後、民間人としてカラフトで抑留される) 1945年8月30日、ソ連軍がやってくるというので菱取から落合まで歩いていった。 昼間に歩くとソ連軍に見つかるので、昼間は木陰で寝て、夜に歩いた。 母親が自分の赤ちゃんを川に投げている光景も見た。 1949年、ソ連軍から民間人を全員帰国させると聞かされた。 必要書類に不備がある人や、生活態度の悪い人は帰さないと言われた。 いざ、船に乗り込むという時にパスポートを無くしてしまった人がいた。 その人は、便所の肥溜めの中までも手でかきまわしていた。 あの人はどうなったのだろう? ●高橋広さん(千島列島でソ連軍の侵攻に遭う) 1945年8月22日に停戦となった。 武装解除をすることになり、将校は軍刀、兵士は銃や弾丸を渡した。 焚き火をしていたが焚き木がなくなったので、ソ連軍に渡していない兵士の装備品を燃やそうということになり、防毒マスクを燃やした。 しかし、誰かの防毒マスクに手榴弾が入れてあり、そのまま焚き火にくべてしまったので爆発してしまった。 さっきまで話をしていた小樽出身の戦友は、胸から血を流して死んでいた。 この事故で2名が死んだ。 戦場整理を終えて収容所へ帰る途中、歩く地面がブヨブヨしていたのでよく見ると、軍服の襟が見えた。 死体だった。 襟賞を見ると中尉だった。 しかし、もはや荼毘に付すこともせず、そのまま帰途についた。 やりきれなかった。
by dounan-museum
| 2025-07-11 14:04
| コラムリレー
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||