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厚沢部町郷土資料館の石井です。 戦後80年を迎え、私たちは過去の記憶をどのように後世に伝えていくべきかを考える時期に来ています。特に、戦没者の記憶をどのようにして次の世代に伝えるかは、遺族会にとって重要な課題です。 遺族会にせまる解散の危機 忠魂碑と戦没者の記憶 厚沢部町本町にある忠魂碑は、大正8年に建立されました。日清戦争、日露戦争、シベリア出兵などの対外戦争が終結し、世界が平和をめざして協力し合う時代が始まったと考えられていました(国際連盟は翌1920年に結成されます)。題字の揮毫は陸軍中将田中義一で、厚沢部村の青年会や有志の寄付金によって建てられました。日中戦争や太平洋戦争の戦没者も合祀され、毎年、戦没者を追悼する慰霊祭が行われています。 平成26年に台座の交換が行われ、その際に、台座に戦没者の名前が刻まれました。刻むことでその記憶を後世に伝える役割を果たしています。 銘板を三次元計測し、GISソフトウェアで可読性を高めたものが下の図です。170名の戦没者の名が刻まれています。なお、忠魂碑全体の三次元計測は以前のコラムリレーで紹介しています。 ![]() 厚沢部町史には128名の戦没者の位置が記載されており、厚沢部町郷土資料館ではこれをGISデータ化しています。このデータを基に、令和2年には遺族会でパンフレットを作成しました。オンラインパンフレットも同時に作成しました(忠魂碑ウェブ版パンフレット)。しかし、忠魂碑銘板の170名とは隔たりがあり、42名の戦没位置が不明のままです。その後の調査で1名の戦没位置が判明しましたが、まだまだ不十分です。 ![]() 戦没者の記憶を未来へ 戦没者の記憶をどのように未来へ伝えていくかは、私たち一人ひとりの課題です。遺族会の解散が現実味を帯びる中、地域社会や教育機関が協力し、戦没者の記憶を守るための新たな方法を模索する必要があります。遺族会会長のYさんは、石版建立の打合せの最後に「俺もながくはないけど、誰かが戦没者のことを伝えなければならないんだよな。沖縄だけで20名も亡くなってるんだから」とぽつんとつぶやきました。 昭和18年2月8日に撮影された厚沢部町出征兵士の写真です(松村1995, 口絵)。写真上段は見送りの友人、下段の白たすきの3名(下段左から中山文夫、松村静雄、福田駒三)が出征兵士です。このとき出征した3名は第24師団(山部隊)に配属され、沖縄戦を戦いました。写真に写る3人の若者のうち生きて厚沢部町に帰ってきたのは中央の松村静雄氏のみでした。 ![]() 戦後80年を迎え、戦没者の記憶をどう後世に伝えるかという課題に直面しています。厚沢部町では遺族会の高齢化に伴い解散も検討される中、戦没者の記憶を残したいという強い思いがあります。町の忠魂碑には170名の戦没者の名前が刻まれていますが、このうち41名の戦没位置や戦没年月日は依然として不明です。遺族会の解散が現実味を帯びる中、地域社会や教育機関が協力して戦没者の記憶を守る方法を模索する必要があります。博物館は、まさに記憶を伝える教育機関として、その役割を果たさなければならないと感じました。
by dounan-museum
| 2025-07-06 08:00
| コラムリレー
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