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五稜郭タワーの木村です。 特別史跡五稜郭は言うまでもなく、日本には珍しい五つの整然とした突角を持つ星形が印象的で、一般的に「西洋式の城郭」と表現されています。上空から見た形のインパクトが絶大なので特徴的な星形にばかり目が行きますが、(この点に関しては「五稜郭の眺望」をご覧頂いている当社にも責任の一端が有るのですが・・・)五稜郭を「箱館御役所」(通称「箱館奉行所」)として考えると、その敷地規模は「星形」の一角に納まるものではなく、日本伝統の城郭に見られる「総構え」に匹敵する広大なものです。その区域の境界には、佐渡から運ばれた苗から育てられたアカマツが植えられ、五稜郭とその北側に造成された役人の屋敷や同心長屋の区画を「コ」の字に囲む樹林帯となっていたようです。 「箱館亀田一円切絵図」などを参考に作成した模型の五稜郭部分 これらのアカマツは敷地の境界を形成するとともに、港からの風を遮る防風林や、外部から五稜郭を遮蔽することをも目的として、郭外に六千七十一本が植樹されたとの記録があるようです。 ![]() 昭和初期発行の絵葉書に写っている五稜郭北側の役宅地境界のアカマツ樹林帯 大正時代に於いても伐採に対する反対や保存に向けての陳情も見られましたが、太平洋戦争末期には、木造船建造の材料や緊急に用いる材木として製材するとの理由で伐採が進められていきました。そして戦後は、刈り払われた跡に外地から引き揚げてこられた人々の住宅も建設されました。『函館市史』によりますと、当時、函館へ上陸した「引揚者」の総数は三十一万人を超え、その内二万人が函館へ定住することになったとのことで、人口の急激な増加に伴う住宅の建設が急務となりました。さらにその後は渡島支庁庁舎が建設されるなど、五稜郭の「星形」の周囲は建物で取り囲まれると共に、アカマツの樹林帯も姿を消していきました。 ジワジワと刈り払われてきた樹林帯ですが、決定的に、そして急速に失われた要因の一つは、「引揚者」の定住を始めとする戦後の人口の増加とそれに伴う市街地の拡大でしょう。伐採されてしまったアカマツは、今更取返しがつかないのですが、海外から引き揚げてこられた多くの人々が戦争によって人生を一変させられたと同様に、五稜郭のアカマツも戦争の被害者であったと言えるでしょう。 ![]() 「保健保安林」として僅かに残っている役宅地境界のアカマツ 徳川幕府が意図した蝦夷地経営と海防・外交の拠点としての、「星形」だけではない五稜郭の真の規模と姿を理解するためにも、現在もわずかに残っているアカマツの保全をお願いしたいと思います。 参考 『函館市史』通説編第四巻
by dounan-museum
| 2025-07-28 09:00
| コラムリレー
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