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函館市文学館の小林です。 「戦後80年」のテーマに沿って、当館の常設展示作家の中から、3人の作家と戦争の関わりについて書いてみようと思います。 今日出海(明治36~昭和59年)は、兄の今東光とともに、兄弟で直木賞を受賞した作家です。函館の弥生町で生まれ、東京大学仏文学科に進みます。昭和5年には明治大学文芸科の教授となり順風満帆な人生でしたが、昭和16年、陸軍報道特派員としてフィリピンへ派遣されました。石坂洋次郎、火野葦平らと太平洋戦争初期のマニラに1年ほど滞在しました。この時の体験が『比島従軍』として発表されています。また、従軍中に文化人といわれている人の裏面を見てしまったことから、その後は人間の醜い本性を題材にした作品を多く執筆することになりました。昭和19年に再び徴用されたときは、マニラ到着後すぐにアメリカ軍の上陸があり、敗走する日本軍と5か月間山中を放浪します。その時の記録『山中放浪』は、戦争文学の傑作といわれています。戦争が大きな転機となり、小説家になった人といえます。 ![]() 今日出海 久生十蘭(明治35~昭和32年)は、函館元町生まれで弥生小から函館中学へと進みます。一度上京しますが、函館に戻って函館新聞社の記者となり、小説や戯曲を発表していました。その後再び上京すると、岸田國士に師事して演劇雑誌の編集を担当しました。昭和4年に演劇の勉強のためパリへ留学した後は、歴史・推理・ユーモアと多彩なジャンルの作品を発表しました。十蘭は昭和16年、出版社の派遣で中国戦線に山岡荘八らと短期間従軍しました。また昭和18年には、海軍報道班員としてジャワ・ティモール・アンボン・ニューギニアなど、現在のインドネシア方面へ派遣されました。報道班員が従軍中に日記をつけることは原則禁止されていましたが、遺されていた十蘭の日記が、平成19年に『久生十蘭従軍日記』として刊行されました。小説の魔術師と言われ、自分の内面を語ることを拒んでいた十蘭の素顔を、日記の中で読み取ることができます。日記は戦争自体の記録だけでなく、現地の人々の生活の様子や文化を知ることができる大変貴重なものです。また十蘭自身も日記を書くことで、気持ちの整理をしていたと思われます。十蘭の作品は戦争を経て、小説のテーマが、以前までのヨーロッパだけでなく、アジアにも目を向けるきっかけになったといわれています。 ![]() 久生十蘭 長谷川四郎(明治42~昭和62年)は、文学や絵画などの分野で活躍した、長谷川四兄弟の四男です。函館元町に育ち、立教大学から法政大学に進みました。ロシア語・ドイツ語・フランス語などを駆使し、絵本から文学作品まで翻訳を手掛けた人物です。大学卒業後、兄の濬と同じく満州に渡り、南満州鉄道株式会社、満州国協和会で働きました。昭和19年に招集され、ロシア国境に配属されました。終戦後ソ連軍の捕虜となって、5年間シベリアの捕虜収容所で労働に従事しました。帰国後にシベリア抑留体験を基に書いた『シベリア物語』など、多数の著作があります。苛酷な抑留生活を経験しながらも、広大な自然や人々の様子が簡潔な語り口で綴られる、くもりのない透明な作品が生み出されました。また『鶴』は芥川賞候補にもなりました。長谷川四郞自身も「戦争がなければ小説を書くことはなかっただろう」と回顧しています。 ![]() 長谷川四郞 参考文献/広報誌ステップアップ「函館ゆかりの人物伝」 (公益財団法人 函館市文化・スポーツ振興財団、1996~2016年) 写真 /函館市文学館所蔵写真より
by dounan-museum
| 2025-10-14 16:20
| コラムリレー
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