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市立函館博物館 髙栁です。 皆さんは函館市文学館の中に,函館出身の彫刻家であり挿絵画家の梁川剛一(やながわ ごういち,1902~1986年)に関するコーナーがあることをご存じでしょうか。剛一の作品や足跡をたどる遺品などが展示され,挿絵については毎年入替えが行われています。戦後80年にあたる2025年の展示替えでは,その一部に「『講談社の絵本』に見る戦争の時代」と題し,戦中に出版された『講談社の絵本』を展示しました。 ![]() 『講談社の絵本』とは1936年(昭和11)~1942年(昭和17)に刊行されたシリーズ絵本です。人気挿絵画家が丹念に描いた極彩色のイラストに,週刊誌大で豊富なページ数と,他の絵本と比べると画期的な内容で子どもたちを魅了しました。当時,すでに売れっ子となっていた剛一も,その紙面に多くの挿絵を寄せています。そんな『講談社の絵本』も,1937年(昭和12)の日中戦争開戦とともに,他の児童書同様,時局を反映した軍国主義的な内容へと傾いていきました。 ![]() この度の展示では直接的な戦闘シーンよりも,その時代ならではの雰囲気やキーワードを読み取れる作品を中心に選びました。例えば『講談社の絵本 第4巻第14号 南洋メグリ』に掲載された「ナンヤウノタウヱ」については,掲載号が出版された昭和16年は,日本軍が石油等の資源を求めて東南アジア侵出を開始した年であり,本の序文にも「南洋はたからのしま」と題し,南洋が資源豊富で日本にとって大事な場所であり,未開の部分も多いこの場所を日本がリーダーとなって開発することの重要性が述べられています。一見,異国の田植えの様子を紹介するだけに見えますが,その実,当時の日本の南洋進出という国策が大いに反映されていたのです。 子どもといえども,将来の日本を担う存在として,戦争とは無関係ではいられなかったことが伺えます。当時の子どもたちが読んでいたものを見る機会は,非常に貴重だと思いますので,ぜひ,ご覧いただき,戦争の時代に思いを馳せるきっかけになれば幸いです。 #
by dounan-museum
| 2026-01-15 16:57
| コラムリレー
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つつがなく年が明け、少しホッとしております。 今年も当館へのご支援をお願いたします。 さて、師走のバタバタにかこつけ、 お知らせをしておりませんでしたが、 現在、当館では、特別展「聖山ーseizanー」を開催しております。 ![]() ![]() ![]() ![]() #
by dounan-museum
| 2026-01-15 10:26
| 七飯町歴史館
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市立函館博物館の大矢です。 戦後80年をテーマとしたコラムリレー、どうしようかと考えていたところ、現在整理に着手している南方の資料につながることに気がつきました。 市立函館博物館が所蔵する民族資料については、アイヌやウイルタ、アリュートなどの北方民族資料がよく知られていますが、実は台湾やニューギニア、パラオなどのいわゆる「南方」の民族資料も相当数含まれていることはほとんど知られていません。 実際、約7,000件の北方民族資料に対して南方民族資料は200点弱に過ぎませんが、資料整理をしていたらなかなか興味深い資料があることに気づかされます。 台湾で収集された資料 台湾にはアミ族やパイワン族、タイヤル族などの原住民族がおり、当館にはタイヤル族の衣服やパイワン族の民具など約40点を所蔵しています。 台湾は日清戦争の講和条約である下関条約によって日本領となり、太平洋戦争終結まで台湾総督府により統治されていました。 この日本統治下の台湾で生活した方が終戦後に引き揚げ、現地で収集した資料を当館に寄贈しました。 パイワン族の楯 南洋諸島で収集された資料 パラオやサイパン島などの南洋諸島は、1919年に締結された第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約により、日本の委任統治領となっていました。 特にパラオには南洋庁が置かれて多くの日本人が移住し、戦後にはアメリカの信託統治領となりますが、現在も多くの日系人が生活しています。 (漫画や映画で最近特に話題となっているペリリュー島も、現在のパラオ共和国の一部ですね。) 南洋諸島で収集された民族資料約50点は、函館商船学校の生徒や、台湾の資料と同様に戦後引き揚げた方等によって当館に寄贈されたものです。 パラオで収集された筏の模型 サイパンで収集された投石用の紐 ニューギニアで収集された資料 ニューギニアには明治・大正期以降、多くの日本人が移住して農業などに従事していましたが、太平洋戦争時に日本軍が侵攻して激戦地となりました。 同地で収集された資料は約40点ありますが、おそらくニューギニアから引き揚げた方か観光に行った方から寄贈されたものと考えられます。 ニューギニアで収集された投槍 ニューアイルランド島北部で作られる祖霊像マランガン これら以外にも、フィリピンやインドネシアで収集された南方資料もありますが、これらについては戦後80年とは関係性が薄かったので省略します。 当館の南方民族資料は現在函館市北方民族資料館で保管されており、館の性格上なかなか展示する機会は見込めないのですが、何らかの形で公開できれば…と目論んでいます。
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by dounan-museum
| 2026-01-06 08:50
| コラムリレー
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第二次世界大戦が終わると、広報活動を民主化政策の手段の一つとしたいGHQの影響もあり、昭和26、7年頃各市町村が広報を発行しようとする機運が高まります。戦前戦中にも隣組や回覧板による上位下達的な周知はありましたが、住民の理解を得ながら民主的に行政を進めていくためのツールとして定期的に各戸に配布される広報紙という方式がとられたのです。 昭和26年8月、知内でも「知内村弘報」が発刊されました。B4二つ折りの4ページで、当時は毎月2回の発行でした。この発刊の言葉として、当時の永田信熊村長が、 何事によらず良く物事の実情を知れば其の事柄に理解が生じ協力が生れるのであって理解を得られないところに協力はあり得ないのであります。村行政の運営に於きましても同様であって村民各位に村行政の実態を正確に知って戴く事に依ってのみ村政の円滑な遂行を期し得られるものと固く信じて居ります。(中略) 皆さんは此の『弘報』の第一号から順次に綴込んで置けば村行政の動きを系統的に明確に知る事が出来るのでありまして其處に村政に対する深いご理解と親しみが出て来るものと固く信じて疑はないものであります。 と書いています。 ![]() この頃の広報を見ていくと、戦後まもない時期であり、記事の内容も戦争があったことを思い起こさせます。 「引揚者へ急告」在外資産返還要請の予備調査(昭和26年8月) 「講和記念特別貯蓄運動」サンフランシスコ講和条約の調印により経済的自立を目指すため大蔵省と日本銀行が共催で貯蓄を奨励する運動を始めたので(昭和26年9月) 「ソ連大陸帰還者の方へのお願い」(昭和27年1月) 「自分の村は自分たちの手で!!! 地方自治の確立を」(昭和27年5月) 「危険物に認識を深くしましょう」小谷石地区で戦時中の不発弾が爆発し5名が亡くなった。危険物に対する認識が薄くなっている(昭和27年5月) ![]() といったものがみられ、時代を感じられます。 また、今の感覚からするとこんなことまでしてるの?という内容もあります。 ![]() 「知内時間を撲滅!!」(昭和27年9月)集会は早く始めて早く終る事。15年くらい前まで聞いた事があるのですが… ![]() 「せんきょぶし」(昭和27年9月)あらカンタンねのフレーズが癖になる、はたしてどのようなメロディーだったのか気になる一本 ![]() 「人身売買は国の恥!!」(昭和27年5月) ![]() ここでは掲載しませんが、優生思想や障害への認識など、現在の知識や感覚では当てはまらないものも多く掲載されています。それは当時そういうものであったと理解した上で、世相や認識を知る上でも貴重な資料となります。 今ではインターネットやSNSなどで世界中の情報を見れるようになりましたが、一方でこれらは自分の生活に深く関わる情報であっても自分で探して取りにいかなければならない性質のものでもあります。現在でもほとんどの自治体で広報誌が発行されています。広報誌には行政が必要な情報を伝え、住民がまちのことを知ることで、まちがちょっとだけよくなる、暮らしがちょっとだけよくなる、そういった力を持っています。令和8年1月号で広報しりうちは693号となっています。 おまけ:北海道広報コンクールというのが毎年行われています。知内町から広報誌の部で入選したことがあります。 #
by dounan-museum
| 2025-12-28 10:00
| コラムリレー
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気がつくと師走です。 皆さんにとって、どのようなⅠ年だったでしょうか。 さて、今回の投稿では、煙草のパッケージから戦時中の変化を 感じてもらえればと、当館所蔵の煙草の箱をいくつか紹介したいと思います。 「ゴールデンバット」という煙草をご存知でしょうか? 2022年に発売中止となってしまいました。 写真の箱の側面には、「ゴールデンバット 拾本入 定價七銭」と記されているので、 おそらく、1936年(昭和11年)までに購入したものと思われます。 時期的にも、日中戦争直前なので、日本は経済活動が活発で、軍事化の過渡期と考えられます。 ところが、1937年(昭和12年)の日中戦争以降、段階を踏みながら値上がりし、1939年(昭和14年)には、一箱9銭となりました。また第二次世界大戦が本格化しはじめた1940年(昭和15年)には、「金鵄(きんし)」に改名されました。その背景として、外国語(特に英語)の使用を控える動きが、活発化したからと考えられます。野球や授業からも外国語の使用禁止の風潮が広がり始めます。そのため、名称だけではなく、パッケージデザインも大幅に変更されます。 ![]() 「金鵄」(昭和16〜17年ごろ) ![]() 「金鵄」(昭和18年以降) 現在の煙草が安いもので500円だと仮定した場合、戦時下の負担額として換算すると1,000円を加算した、1,500円が定価となり、約3倍となるの値上げだったことになります。しかも、本来の買えるバスはずの煙草2個分の負担金は、戦費へと注ぎ込まれるのです。今の私達なら大きな不条理を感じることでしょう。さらに、この戦時負担額は、終戦となる1945年(昭和20年)には、27銭まで増え、定価は35銭になったとそうです。戦争が始まる前が一箱7銭だったので、5倍の値段になったということです。このように、煙草の価格やパッケージの変化を見るだけでも、戦争には巨額なお金が必要となり、しかもそれらは国民が負担することになるのです。 ちなみに戦時中のパッケージ印刷の簡素化は、「ゴールデンバット」や「金鵄」以外にも多色刷りから白地に赤単色刷りへと変化した「光」など、ほとんどの銘柄にみられました。 ![]() 「光」(昭和13〜17年) ![]() #
by dounan-museum
| 2025-12-15 00:00
| コラムリレー
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