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「人生邂逅し開眼し瞑目す」- 北海道坂本龍馬記念館から函館公園に向かって歩いていくと、こう書かれた碑に出会う。函館出身の文芸評論家・亀井勝一郎の文学碑だ。この亀井勝一郎は、龍馬研究の第一人者のひとり、作家・宮地佐一郎の師にあたる。 ![]() =亀井勝一郎の文学碑= 高知出身の宮地佐一郎は、生涯にわたり坂本龍馬研究に没頭し、『坂本龍馬全集』や『坂本龍馬写真集』など数々の作品を編集、出版している。そのいずれもが、龍馬に対するリスペクトが込められた秀作、その中でも一番となると、私は『龍馬百話』を挙げたい。 この本は、龍馬の生涯を資料に基づいてわかりやすく、百のエピソードにまとめられている。龍馬の蝦夷地への想いについては、第28話「龍馬の北地策」、第29話「浪士北添佶磨」に詳しい。そして第92・93話の「甥坂本直寛と北海道(上)・(下)」では、龍馬の遺志を継ぐかたちで北海道に赴いた坂本直寛についても、詳しく言及している。 ![]() =坂本龍馬全集と龍馬百話= 実は、亀井勝一郎の文学碑を知ったのもこの本、第24話「姉乙女あての初信」に、“私の文学の師、文芸評論家亀井勝一郎の文学碑が、北海道函館市青柳町に、「人生邂逅し開眼し瞑目す」と建っている”とある。また、龍馬がお龍とともに身を寄せて心を許した下関・伊藤家「自然堂」について、その子孫から頂いたという聞書とともに第50話に語られている。当館の入口には、そんな「自然堂」の看板を掲げている。 宮地佐一郎は、晩年、亀井勝一郎の文学碑を訪れている。その時彼は、その碑を撫でながら、「先生やって来ました、やって来ました」と話しかけていたという。このようなこともあり、来館された方に近くのおすすめスポットを尋ねられたとき、この文学碑のことを伝えることもある。 ![]() =北海道坂本龍馬記念館入り口の「自然堂」看板= さてここで、亀井勝一郎についても触れてみたい。彼のことを詳しく知ったのは、函館に移住してからのことだが、函館市文学館を訪れたとき、亀井勝一郎の函館八景が紹介されていた。その中のひとつ、寒川の渡しに惹きつけられた。 それは、自分が大学生活を富山県で送っていたこともあり、函館山の裏側にあった富山県からの移住者が開拓した旧寒川村に関心が向いたのだと思う。残念ながら、現在は足を踏み入れるのは困難で、唯一、函館山からその方面を微かにのぞき込む程度だ。そんな寒川付近は、箱館戦争時、黒田清隆率いる官軍が上陸し、絶壁をよじ登る奇襲により、函館山を占領したことで知られている。 #
by dounan-museum
| 2025-02-05 16:47
| コラムリレー
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■はじめに 江差町郷土資料館の宮原です。![]() 今回のコラムリレーではその企画展の内容についてご紹介します。 三上千代蔵さんは、北海道江差町の柳崎地域で生まれ育ちました。 農業などを営みながら、仕事や趣味で身に付けた技を使って様々な作品を作り、その技を活かして地域の活動をしてきました。 残念ながら2024年7月10日に91歳でご逝去されましたが、ご遺族や地域のご協力をいただいて作品を展示することができました。 この企画展は、それらの作品を見ながら三上千代蔵さんの「生きる姿勢」を追慕することが目的です。 企画展の副題を「-自らの技を、地域と共に、そして家族を想い-」としました。 展示も副題に沿った構成としています。 副題に合わせて展示資料をみてみましょう。 ■自らの技を 三上千代蔵さんは字がとても上手でした。 この印もご自身で彫りました。 これは、昭和34年に三上千代蔵さんたちが千軒岳に山仕事へ入った時に記念に作成したものです。 木に生えるサルノコシカケのようなキノコの裏面に、次のような文字を彫っています。 石崎のやまにいどみし十二人 大千軒の雄姿のぞみて 搬出のそりをせおいてのぼりゆけば したたる汗は宝石のごと 昭和三十四年陽春 千代 「千代」の下には、あの「T」と「M」を組みわせた記号も彫られています。 ■地域とともに モノづくりが好きで器用な三上千代蔵さんは、江差町文化協会に個人として入会し、毎年開催される江差町文化祭へ継続して作品を展示されました。 ![]() これは2015年の江差町文化祭に出展した作品です。 ヒバ材に民謡「江差追分」の歌詞である「かもめの鳴く音に ふと目をさまし あれが蝦夷地の 山かいな」を彫り、透かし彫りで下部には北前船を、周辺にはカモメを配置しています。 まさに江差の歴史文化を凝縮した作品です。 これは2016年の江差町文化祭に出展した作品です。 三上千代蔵さんが生まれ育ったのは厚沢部川河口にある柳崎地域ですが、そこは江戸時代に川を使ったヒバ材の搬送でにぎわった地域でした。 そのにぎわいは江戸時代中期に描かれた屏風絵で知ることができますが、三上千代蔵さんはその屏風絵をヒバ材への木彫で表現しました。 ここにも江差の歴史文化が詰め込まれています。 また三上千代蔵さんは、地域の活動にも仲間と一緒に携わってきました。 柳崎地域では神社の鳥居に飾る正月用の注連縄を地域のみんなで協力して作ります。 三上千代蔵さんは、注連縄飾りのなかでも〆の子づくりを担当していました。 江差町の柳崎地域では、地域のみなさんが協力して柳崎地域の歴史書『柳崎郷土史 どんば』を刊行しています。 三上千代蔵さんはこの本の編集委員長を務められ、タイトルの揮毫もされました。 「どんば」とは柳崎地域の地域呼称で「土場」とも書きます。 ![]() 踊り手が履くわらじや、木片を重ねて音をならすササラという楽器は、保存会員たちが三上千代蔵さんから作り方の指導を受けて手作りで作成したものです。 新型コロナウイルスの流行以降は実施されなくなってしまいましたが、柳崎地域では毎年4月8日に花祭りを行っていました。 ■そして家族を想い 三上千代蔵さんは、そのお孫さんのために手作りで碁盤と碁笥を作りました。碁石は黒い石と白い石を拾い集めたものです。 石膏像は、お孫さんがお亡くなりになった後にその面影を形に残したものです。 ■おわりに これらの作品を通してご覧いただくと、三上千代蔵さんは自分の好きなモノづくりを通じて地域や家族とつながっていたことがうかがえます。近年、「地域おこし」「地域の魅力発信」などというフレーズをよく聞きます。 それらは、ともすれば重荷ともなりかねない一過性のイベントになりがちです。 私は、三上千代蔵さんのように無理をせずに自分の得意なことを通じて地域や家族と関わり合うことを目指していきたいと思っています。 #
by dounan-museum
| 2025-01-24 08:03
| コラムリレー
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令和6年(2024)は、昭和29年(1954)9月26日に来襲した15号、のちに「洞爺丸台風」の惨禍から70年目を迎え、市立函館博物館では、「洞爺丸の悲劇から70年」と題したロビー展を令和6年(2024)10月23日から令和7年(2025)6月22日まで開催しています。 洞爺丸台風については、当時報道関係をはじめ多くの人々に記録されていますが、そのうちの一人に、当時の旧国鉄青函船舶鉄道管理局に勤務し、連絡船の乗務員だった金丸大作氏がいました。金丸氏は大正13年(1924)に群馬県に生まれ、戦時中の昭和19年(1944)に官立無線電信講習所(現電気通信大学)を卒業後、連絡船の無線通信士として乗務していましたが、翌年には徴兵されました。ご本人は生きて戻れないと死を覚悟しての出征でしたが、国内で終戦を迎え、無事に函館に戻ることができました。帰函してみると、昭和20年( 1945)7月14日から数次にわたる米軍の空襲によって次々と連絡船が撃沈され、出征しなかった多くの仲間が犠牲になっていてことを知り衝撃を受けたと回想しています。 そして函館に戻って間もない昭和23年(1948)頃から以前から興味のあった写真を始めることになりました。自身の職場である連絡船をはじめ,街や人々など被写体には事欠かなかったようで,昭和25年(1950)には函館三平フォトクラブ創立会員となり,翌年にはアサヒカメラ誌に初入選を果たしています。 一方、青函航路は終戦直後の混乱期を経て、「海峡の女王」と呼ばれた洞爺丸をはじめとする新造船が次々と就役していき、順調に復興しつつありました。昭和29年8月には、北海道国体に臨席するため来道した昭和天皇、皇后両陛下の御召船の栄誉に浴した洞爺丸でしたが,わずか1か月後には他の4隻の連絡船とともに台風の犠牲となってしまいました。ちなみに金丸氏は天皇陛下来道の際には、国鉄側の公式カメラマンとして活躍しています。 運命の9月26日当日、金丸氏はちょうど非番だったために難を逃れましたが、事故の一報を聞いてすぐに現場に向かったとのことです。この直後、国鉄から約1カ月間、事故の記録を撮るよう命ぜられ、2台のカメラを引っ提げてあちこちを精力的に撮影して回りました。このうち公式に撮影したフィルムは国鉄側に渡したもののその後公開されることなく行方が判らないとのことです。そのため、写真集や各地で開催された写真展で目にすることができるのは、手元に残された個人として撮影した写真のみです。 ![]() 七重浜で捜索活動を見守る人々 その後は連絡船の無線通信士として乗務する傍らで、「写団海峡」というグループを創立・主宰し、函館写真協会の会長に就任するなど、写真家としても精力的に活躍されました。昭和58年(1983)には、「羊蹄丸」を最後に退職し、家族同様の仲間の乗務員や自身の生活の場でもあった連絡船との半生は終わりましたが、その後も連絡船をはじめ多くの写真を撮影し、数々の賞を受賞しています。平成31年(2019)に逝去されましたが、金丸氏の遺された膨大な写真は、令和6年(2024)にご遺族から当館に寄贈されました。 今回、未曾有の被害を出した「洞爺丸台風」をテーマに展示会を開催しましたが、金丸氏自身の手記やご遺族のお話では、この事故を風化させずに語り継いで欲しいという強い思いがありました。当館に来館されるお客様の中で、本州の方や若い方はこの事故のことを知らないと語っている方もいらっしゃいます。金丸氏の写真の中には、犠牲者などの惨劇を伝える写真よりも、事故に遭った家族や知人の無事や犠牲者への追悼の祈りを捧げる人々の写真がいくつも遺されています。戦争や台風で多くの仲間や乗客を失ったことは、金丸氏にとって一生大きな傷として残り、こうしたシーンをファインダー越しに覗いてシャッターを切るとき、自身の強い思いを投影していたのだと強く感じます。我々博物館として、こうした歴史の一頁を風化させないように少しでも多くの方に伝えていきたいものです。 なお、JR函館駅の2階と函館市青函連絡船記念館摩周丸では、「台風との斗い・洞爺丸をはじめ5青函連絡船遭難記録」と題した企画展が令和7年(2025)3月30日まで開催されていますので、合わせてご覧いただければご幸甚です。 そして最後に犠牲になった多くの乗客乗務員の方々のご冥福をお祈りいたします。 ![]() 七重浜に捧げられた献花 #
by dounan-museum
| 2025-01-13 09:14
| コラムリレー
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北海道立函館美術館の高橋です。現在、当館では「文字の芸術をめぐる旅―文字ってアートなの?」を開催しています。 北海道立函館美術館は、コレクション収集にあたって、<道南ゆかりの美術><書と東洋美術><文字・記号にかかわる美術>という三つの柱を掲げています。その中でも、「書」は、松前町出身で戦後の日本の書道界を代表する書家の一人で、近代詩文書の提唱者でもある金子鷗亭氏が自身の作品を数多く当館に寄贈してくださったことから、美術館としてはめずらしく、「書」のコレクションが充実しています。そして「書」から発展した<文字・記号にかかわる美術>も、国内外の現代美術の名だたるアーティストの作品がそろい、その高い国際性と現代性は、見ごたえのあるものばかりです。 本展は、当館コレクションの文字に関わる作品に焦点を当て、「アートのなかの文字」「印刷される文字」「文字のチカラ」「アートになった文字」「痛みをはらむ文字」「とおくてちかい文字」「形をうしなっていく文字」という七つのテーマを設けて、各テーマがゆるやかに繋がるように構成しています。旅をするように文字を使った作品を巡りながら、アートとしての文字の面白さや魅力を感じていただける内容です。このコラムリレーでは、展示作品をいくつかご紹介します。 ![]() 展覧会の最初に目に入るのは、本展のメインビジュアルにも使用している岡田博《RED》です。この作品は「RED(赤)」と描いていますが、背景が「緑」、文字が「白」で描かれており、作品の中にはどこにも「赤」がありません。この作品は、文字情報と視覚情報のズレをあえて意識させ、文字がもつ意味が失われ、単なる記号になることをあらわしています。このように、文字を使ったアートには、作家が作品を通して鑑賞者である私たちに「問いかけ」をするような作品がたくさんあります。なかには、意図的に「違和感」を起こすような作品もあります。私たちは作品について「考えること」を求められるようになってきました。 ![]() 次にご紹介するのは、三島喜美代《NEWS PAPER F-87》です。三島は、1970年代から新聞や雑誌などの印刷物をシルクスクリーン技法でやきものに転写する表現に取り組みました。本作は、新聞紙を陶器という割れやすい素材でかたどっています。そのサイズは巨大で、形がくしゃくしゃにつぶれており、異様な存在感を出しています。巨大な新聞紙の塊には、社会に大量にあふれる一過性の情報に対する、作家の不安感や危機感があらわされています。 ![]() 現代書のパイオニアの一人で、時代をリードしつづけた書家・金子鷗亭(1906-2001)は、「近代詩文書」を提唱しました。近代詩文書は、現代を生きる私たちにとって身近な言葉や近代文学を題材とし、漢字と仮名を交えて書かれています。書家が言葉のイメージをふくらませ、文字を視覚的に訴えかけるように表現していることも特徴です。《山村暮鳥詩 風景 純銀もざいく》は、漢字と仮名交じりの書を提唱した鷗亭には珍しく、ひらがなだけの詩を扱った作品。全体的に薄い墨を用いているため、その濃淡の変化がわかりやすく、墨がたくさんのっている箇所、かすれていく過程がよくわかります。全体的に濃淡のグラデーションを作り出して、風に波打つ一面の花畑の様子を思わせます。 ![]() 金子鷗亭《山村暮鳥詩 風景 純銀もざいく》1958(昭和33)年 函館市蔵(当館寄託)
そのほかにも、2021年に逝去した函館出身の画家・外山欽平《アルファベットシリーズ》を七点お借りして展示しており、鮮やかな色彩は展示室内でひときわ目を惹きます。また、特別展ということで、普段は展示されないような大型の作品も数多く展示しています。約十年ぶりに展示する石飛博光の全長七メールを超える屏風作品《桑田佳祐詩 TSUNAMI》や金子鷗亭《宮沢賢治詩 雨ニモマケズ》、ひらがなにちなんだ五十センチ四方の五十一個の箱が並んでいる平林薫《五十一音一箱》など、どれも見ごたえがあります。
常設展示室では、港町函館のイメージを彷彿とする作品を紹介する「港町函館 今・昔」、鷗亭記念室では、海にまつわる言葉と題材とした書の作品を集めた「海を書く」を同時開催しています。いずれも会期は4月6日(日)まで。ぜひ、函館美術館にお越しください。 #
by dounan-museum
| 2025-01-11 11:08
| コラムリレー
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![]() 三上千代蔵さんは北海道江差町の柳崎地域で生まれ育ち、仕事や趣味で身に付けた自らの技を駆使して地域活動や民俗芸能の場面で貢献され、また家族のために作品を残しました。 この企画展ではそれらの作品をご覧いただき、三上千代蔵さんの「生きる姿勢」を追慕します。 ■会期 2024年12月21日~2025年3月23日 ■開館時間 9:00~17:00 ■休館日 月曜日/祝日の翌日/12月30日~1月6日 (お電話でご確認ください) ■入館料 大人300円/小中高100円 #
by dounan-museum
| 2024-12-27 11:56
| 江差町郷土資料館
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