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夏休み、ピリカ遺跡で楽しい時間を過ごしませんか? この日は何と「石器づくり放題デー」として、遺跡周辺の河川で採集した頁岩を大量に無償提供しますので、思う存分石器を作ることができます! もちろん講師による作り方講習もありますので、わからないところは質問しながら挑戦してください。 また、昨年好評だった「メノウ磨き体験」は今回新たにダイヤモンド砥石を多数導入しましたので、昨年よりも効率的に磨くことができるはずです(参加料1人500円)。 このほか、「タイムトライアル火起こし大会」、「ピリカフットパス体験会」も開催します。 ぜひこの機会にピリカ遺跡、ピリカ旧石器文化館にお越しください! ・期日 2024年8月4日 ・会場 ピリカ旧石器文化館およびその周辺 #
by dounan-museum
| 2024-07-29 09:50
| ピリカ旧石器文化館
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五稜郭タワーの木村です。 世界の各地では今も武力紛争が絶えません。人々が悲しむ姿をニュースの映像で見ると、為政者が自分達の正義や論理を声高に叫ぼうと虚しさと憤りしか感じません。 明治維新期の箱館戦争に巻き込まれた住民達も同じ状況に有ったことは、当時の人々が残した文書に記されています。特に『新開調記』(以下、『新開』)と『箱館軍記』(以下、『箱館』)は民間人による記録とされ、それだけに当時の箱館の住民が被った被害についても多く記されています。(以下、引用文の箇所は適宜、新字体の使用、読点・濁点の追加等を行っています) 箱館攻撃開始に際しての新政府軍から町役人に対する布告では、「成る丈市中放火等相成らぬ様、軍艦、兵隊共へ厚く御指揮有られ候共、接戦の場合に至り、発砲致候節自然流丸に当たり、無罪の人民毀傷に及候儀も計り難く候」(『新開』)とし、流れ弾による住民の被害も有り得るとして避難を呼びかけています。 住民は、「大騒ぎして市中は店を閉め切り・・・畳、建具等迄持運び、山蔵・山小屋へ逃れて行き」(『新開』)、「我も我も我家の残り荷物等を取寄せ、皆逃げ」(『箱館』)と、家財道具をまとめて避難する姿は現在の国際報道の映像でも見られる光景です。 そして、いざ戦闘が始まると、両軍ともに射撃の精度はお世辞にも正確とは言えないようで、流れ弾が「山上町石〆へ一つ落ち、女二人怪我いたし」、「嘉兵衛と申す者の足を折り」(以上『新開』)、「弁天には死するもの二人、山ノ上には女即死」、「男一人の頭に当り即死」、「弁天高竜寺前裏長屋に即死二人有り」(以上『箱館』)。特に「専右衛門と申す者之家内病気之処、炉の端に横になり居り候処へ空窓より玉飛び其の女に当り即死」(『箱館』)の記録は、病気の為に逃げ遅れた女性の悲劇です。 人々は「山の端、野原に三千人、五千人之者集まり西へ大砲の玉落ちれば東へ逃げ、東へ玉落ちれば西へ逃げ・・・」(『箱館』)と右往左往しますが、旧幕府軍が建設した「一本木関門」と大森浜までの柵によって「一人も市中より出る事叶わず、此の上箱館において合戦之有り候えば皆死と心痛致し」(『箱館』)というような、避難すらできない状況が発生していました。現代の紛争に於いては「人道回廊」と呼ばれる民間人の避難経路が設定されるようですが、機能しないケースも多いのでしょう。 そして遂に「流れ弾」の一言で片付けられない甚大な被害が発生。「台場詰の者三人出来り火を付け候所・・・大火に相成り候得共、大筒・小筒玉諸方より飛び来るゆえ、火消しの者立寄る事ならず・・・土蔵蔵々見ながら焼け落ちし・・・市中は三日三夜焼ける」(『新開』)とあり、戦闘の最中で消火作業もできず、ただ焼け落ちるのを見守るしかなかったようです。この放火は弁天台場に立て籠もった兵士が自暴自棄になっての行動でしょう。「脱走火事」と呼ばれる旧幕府軍の汚点の一つです。 『函館戦争図絵』(函館市中央図書館蔵)より 弁天台場から見た密集する市街地 住民にとっては戦争の大義などは関係なく、人命や財産に多大な損害を被っただけなのは現代の紛争と変わりありません。歴史上に名前が残る人々ではなく一般の民衆に眼を向けると、戦争・紛争というものの理不尽さ・無意味さが明らかになります。 参考資料『箱館戦争資料集』(新人物往来社) #
by dounan-museum
| 2024-07-22 12:08
| コラムリレー
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こんにちは。函館市縄文文化交流センターの太田です。 児童・生徒の皆さんはもうすぐ楽しい夏休みですね。そこで今回は、縄文文化交流センターに隣接するユネスコ世界文化遺産「史跡垣ノ島遺跡」の楽しみ方について紹介したいと思います。 垣ノ島遺跡は、函館方面からですと、道道83号線を川汲方面へと走り、南茅部総合センターのある交差点を左折して、国道278号線バイパスを鹿部方面に3キロほど進んだ場所にあります。駐車場は、函館市縄文文化交流センターと道の駅「縄文ロマン南かやべ」と共有しており、駐車場は普通車が33台停車できるようになっています。 垣ノ島遺跡の入口ゲートはこちら。くぐって中に入ってみましょう。 管理棟を横に見ながら遺跡内に入ります。景色が見えてきました。 こちらが展望デッキ。晴れていればこのように太平洋まで景色が広がります。遺跡の面積は93,000㎡もあります。縄文時代早期(9,000年前)~縄文時代後期(3,000年前)まで、約6,000年間も続いた集落跡の遺跡です。縄文時代早期の時点で居住域と墓域が区分けされていたことを示す、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中でも縄文時代早期を代表する構成資産の一つです。 また、遺跡内の海側の方には、盛土遺構という、土器や石器などを捨てていた区域が広がります。盛土遺構の長さは190m、幅が120mもあり、盛土遺構としては国内最大級の規模をほこります。 遺跡内では、スタッフが常駐しており、定時解説(10時、13時、15時)のほか、定時解説の時間以外も解説を受けることができます。気になることがあったらスタッフから詳しい話を聞いてみてね。 垣ノ島遺跡ではデジタルコンテンツを整備しており、スマホやタブレットを使って、遺跡についてより深く学ぶことができるんです。 ARやVRという言葉を聞いたことはあるでしょうか。ARとは「拡張現実」のこと、VRとは「仮想現実」のことです。垣ノ島遺跡ではこのAR・VRを体感できるようになっています。 事前にスマホアプリの「ストリートミュージアム」をインストールしておきます(函館市HP(https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2022012400119/)やGoogle Play内で検索)。現地に着いたら、「ストリートミュージアム」を立ち上げてみましょう。すると、自分の立っている位置と、遺跡内の地図が出てきます。特定の位置に立つと、アプリが反応して、ARおよびVRのマークが出ますので、これをタッチすると、画像が出てきて説明が始まります。特に、ARの出た場所では、縄文の景色と自分の姿を重ね合わせた写真を撮ることができます(例:バーチャルで竪穴住居内に入ることができます!)。自分だけの縄文ワールドを体感してみよう! 最後に、垣ノ島遺跡では、天気の良い日に1日2回(11時、14時)の「発掘体験」を無料で行っています。実際に垣ノ島遺跡で見つかった本物の遺物を自分で掘り出し、スタッフから出土した遺物の使用目的や時代などの「まめ知識」が聞くことができます(見つかった遺物は持って帰ることはできません)。 垣ノ島遺跡を楽しんだ後は、函館市縄文文化交流センターや、もう一つの世界遺産「史跡大船遺跡」(車で10分弱の道のりです)を見学してみてはいかがでしょうか。ぐっと理解が深まります。たっぷり勉強した後は、道の駅「縄文ロマン南かやべ」のじょうもんくるみソフトで一息。クルミパウダーをねり込んだ美味しいソフトクリームですよ。
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by dounan-museum
| 2024-07-20 17:40
| コラムリレー
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知内町郷土資料館の竹田です。 知内町小谷石地区の入り口にイカリカイ駐車公園があります。夏になるとテントを張ったり海に降りて磯遊びをする人で賑わうのですが、その駐車場の片隅に小さな石碑が建っています。石碑には一首の俳句が彫ってあります。この句の作者は牛島滕六(うしじまとうろく)という明治から大正にかけて北海道の俳句界の重鎮として活躍した人物です。 牛島は久留米(今の福岡県)の生まれで、明治24年、20歳の時に屯田兵として北海道に渡ります。来道以前から河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)や内藤鳴雪(ないとうめいせつ)に師事しており、郷土俳句の普及と、北方季題を探し出すことに精力を注ぎながら道内各地を回りました。 明治36年に「北星吟壇」を結成、翌37年には北海タイムス社に入社した青木青葉(のちの郭公)も参加し、『ホトトギス』の影響をうけつつ活動しました。大正3年から5年間、小樽新聞の俳句選者を務め、大正10年には藤森氷魚、長谷部虎杖子らと俳誌『時雨』を創刊しています。この『時雨』は現在も発刊されている句誌『葦牙』の前身です(昭和12年に牛島滕六が引退表明、その後長谷部虎杖子が改題主宰したもの)。 全道を回るなかで知内にもたびたび訪れ、町内の俳人と親交を持ちました。その牛島の功績を讃えるため、涌元の佐藤楽山堂など当時盛んに活動していた俳句結社「乱礁吟社」の人々が中心となって句碑の建立を計画。昭和27年5月に涌元小谷石間の海岸道路に建てられました。除幕式には牛島も訪れました。 ちなみに涌元から小谷石は切り立った岩礁地帯で、小谷石に行くには船か山越えの道を歩かなければなりませんでした。この海岸道路は昭和24年10月に亥子澗(イノコマ)までが開通したばかり。句碑はその少し手前に建てられました。碑を設置するにあたっては時化のため道路が決壊しており、重さゆえ船でも運べず人力で運んだとのことです。なお海岸道路が全通したのは昭和39年のことです。 句碑はその後道路改修のために移設され、現在の場所に建っています。句碑に刻まれているのは、 『草枕宵々に春の月ありて』 北海道ならではの俳句の表現を追求して精力的にまわった牛島の生涯を表しているようです。なお牛島滕六は句碑が建立された27年の9月、俳句行脚の途中帯広で82歳で亡くなっています。 #
by dounan-museum
| 2024-07-14 21:15
| コラムリレー
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八雲町郷土資料館・木彫り熊資料館の大谷です。 北海道の木彫り熊発祥地・八雲では、1924(大正13)年からさまざまな木彫り熊が作られてきました。 そのなかでも「イッピン」を紹介する特別展を、令和6年6月15日から9月8日まで開催しています。 イッピンには、すごいという意味と、八雲らしい形から逸脱したという意味をかけています。 多くの人にとって、「木彫り熊」と聞いて想像するのは、鮭をくわえた姿だと思います。 実はこの姿は、第二次世界大戦後におこった北海道観光ブームのなかで、八雲以外の地域で定番化した姿で、どこでどうやってはじまり、人気になっていったのかわかっていません。 北海道への観光客が連想する北海道らしいもの…ということで、鮭をとる熊の姿を彫ったのだと思うのですが…。 そんな八雲ではあまり一般的でない姿の鮭をくわえた姿も、彫っている人は彫っています。今回出しているのは、木彫り熊講座の講師を長く務めた上村信光さん。 他には、引間二郎さんも彫っていた話が残っていますが、実物はありません。 引間さんは、「鮭をくわえた姿は不自然な姿になるから、頼まれないと彫らない」と話していました。 八雲で彫っていた人としては異色な「すーさん熊」として人気があるのが鈴木吉次さん。 割と多くの鮭くわえ熊を彫っています。こちらは常設展示内にあります。 鮭くわえを見てもらいましたが、八雲においては、鮭はくわえるものでなく、背負うもの。 戦前にあった木彫り熊の第一次ブーム(昭和7年頃から昭和15年頃まで)において、「北海道観光客が一番喜ぶ土産品」と雑誌に書かれた八雲の木彫り熊で多く作られていたのが、鮭負熊(鮭背負い熊)。 札幌学院大学の山田先生から教えていただいたのですが、明治時代の小学校の教科書には、鮭を背負う熊の話が載っています。 こういったエピソードから、おそらく当時の人にとって、熊は鮭を背負う姿がイメージしやすかったのでしょう。 千秋庵の山親父という洋風煎餅も、笹に鮭を刺して背負った熊の姿が描かれています。 それが木彫り熊では、笹もありますが圧倒的に木の棒に刺している…のは、制作の都合上でしょうか。 今回展示しているのは、写真撮影禁止な戦前の資料と、撮影可の茂木多喜治さんが戦後に作ったもの。写真は戦後の鮭背負いで、笹の葉が表現されています。 八雲の木彫り熊といえば、様々な姿が作られていることが特徴です。擬人化と呼ばれる、人のような動きをしている熊達。学校で授業を受けていたり、牧草を積んだり、バットを振ったり…様々な姿がありますが、昭和3年の時点で約30種類ほどの姿があったことが取引台帳から分かっています。 立熊(這っている姿)、座熊(座っている、もしくは臥せている姿)など熊らしい姿があれば、モッコを背負う、スキーをするなど擬人化した姿もすでにあります。 スキーをする熊は、破損はあるものの割と大きめの資料が見つかったため、今回初展示しています。 また、台帳には、鶏熊、骸骨熊など、よくわからないものもあります。 骸骨熊は、おそらくこれじゃないか、というのを見つけました。 ペーパーナイフの先が熊の頭骨ですね。 展示は9月8日までを予定していますので、八雲の多様な木彫り熊をぜひご覧ください。 また、国立アイヌ民族博物館では、『藤戸竹喜の世界展』が開催中です。 藤戸さんのすごい作品だけでなく、旭川の古い木彫り熊も展示していますので、そちらもご覧ください。 …八雲と白老、だいぶ離れていますが… #
by dounan-museum
| 2024-07-06 16:43
| コラムリレー
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